「恋なすびは誰のもの?」

創世記30章14-24節

 ヤコブの長男のルベンがある時、野原に出かけました。すると、そこに「恋なすび」を見つけました。「恋なすび」は古くから重宝されていて、古代の人たちから不妊治療に効くと信じられていました。ルベンは「恋なすび」をお母さんのもとに持っていきます。しかし、このことで、ちょっとした騒動が起こるのです。「恋なすび」の実を見たラケルは、レアに対し「あなたの子供が取って来た恋なすびをわたしに分けてください」と言い出しました。ラケルは不妊治療に効くと言われていた「恋なすび」があれば、自分にも子どもができるんじゃないかと考えたのです。しかし、レアはこれを拒み、「あなたは、わたしの夫を取っただけでは気が済まず、わたしの息子の恋なすびまで取ろうとするのですか。」(30:15)と訴えます。レアとしては積もり積もったやるせない思いがあったのだと思います。ラケルはそれでも諦めきれませんでした。レアに対して「それでは、あなたの子供の恋なすびの代わりに、今夜あの人があなたと床を共にするようにしましょう」(30:15)と交渉し、結果、レアは納得し、「それなら」ということで、ラケルに恋なすびを譲り渡したのでした。

 本日の箇所を読みながら思うことがあります。それは、結局、この「恋なすび」の話は何だったのだろうということです。ラケルは、必死にレアと交渉し、やっとの思いで「恋なすび」を手に入れました。「恋なすび」を手に入れることで、子どもができると期待したのだと思います。しかしながら、結果、「恋なすび」で子どもが与えられたとは記されていません。むしろ子どもが与えられていくのは、レアです。そのことを思う時、いったいこの「恋なすび」は何だったのだろうかと思ってしまいます。それに加えて、思うことがあります。それは「この恋なすびって、誰のものなんだっけ?」ということです。レアは、この恋なすびをだしにラケルと交渉をしたのですが、そもそもこの恋なすびは、レアの子どものルベンのものだったのではないでしょうか。それがいつの間にか、あたかもレアのものであるかのように取り扱われていて、レアとラケルの間で、この恋なすびについてあれこれ言われているのです。自分が拾ってきた「恋なすび」を巡って、自分をそっちのけで、レアとラケルがヤコブを奪い合っている様子を見つめながら、ルベンは子どもながらに思うところもあったのではないかと思うのです。

この記事は、私たちの日々の営みを色々な意味で凝縮しているのかも知れないなと思います。レアとラケルは必死になって「恋なすび」を奪い合っているわけですが、そもそも、そのこと自体、意味があったんだろうかと思いますし、そんなふうに奪い合う中、ルベンを置き去りにしている姿、そして、そのことが後々、ヤコブの家に暗い影を落としていくことになる様子に、こういうことって、私たちの日常にもあるんじゃないかと思うのです。いずれにしても、私たちは日々の営みの中で、目の前の色々なことにあくせくしながら、「恋なすび」のように本当は意味なんかないことにばかり心奪われてしたり、本来、聞かなければいけない声をないがしろにしていないだろうかと思いました。

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