「ラバンとの距離」

創世記30章25-36節

 本日の箇所には、ヤコブと、ヤコブの伯父のラバンとのエピソードが記されています。ヤコブはラバンのもとで長年働き、約束したことを果たしてきたので、そろそろ自分の生まれ故郷であるカナンの地に帰ろうと考えました。しかし、そのことをラバンに打ち明けると、強引な形にラバンに引き留められてしまいます。ヤコブとしては、ハランを出て、一日も早く独り立ちをしたいという思いが強かったのですが、ラバンが繰り返し、「何をお前に支払えばよいのか」(30:31)と言ってきますので、「それだったら」ということで、ラバンが所有する山羊や羊の中で、ぶちやまだらなど、白みがかったところのある山羊や、同じくぶちやまだら、黒みがかったところのある羊を報酬として自分にくださいとお願いをしました。当時、中東では、山羊と言えば、黒くて、羊と言えば白いというのが普通でしたので、山羊や羊たちの中でも余りいないぶちやまだらのようなものだったら、要求してもいいんじゃないかと思ったのだと思います。ラバンはヤコブの要求を了承します。しかし、ラバンはこの話の後、自分のところにそれまでいたぶちやまだらの山羊や羊を先に自分たちの息子たちにあげてしまうのでした。口では正当な報酬をあげると言いながら、実際には一匹たりとも、山羊や羊をあげようとはしなかったのです。本当に酷い話だと思います。
 本日の箇所には、山羊や羊にまつわるラバンの振る舞いについて書かれているのですが、おそらくこの十数年ヤコブは、ラバンのもとでそのような経験を散々してきたのではないでしょうか。信じては裏切られ、期待しては失望し、気づいたら、いいように使われているだけで、ラバンに対する不信感がこれまで積もり積もっていたのではないかと思います。そんな状況の中で、ラバンのところになんかいたくないと思うヤコブの気持ちがよく分かります。ただ、ラバンとヤコブについて考える時、一つ思うことがあります。それは、ヤコブはラバンからこれまで振り回されたり、傷つけられたりしてきたのだと思うのですが、同時に、たくさんお世話になってきたということです。正直、ラバンがいなければ、ヤコブはとてもじゃありませんが、ここまでやって来ることはできなかったのだと思います。ラバンがいてくれなかったら、ヤコブはとてもここまでやって来ることができなかったのだと思うのです。
 そんなヤコブとラバンの関係を思う時、色々なことを思わされます。私たちにとっての「人と人との関係」の中で、本日のヤコブとラバンの関係に重なってくるような関係というのは色々あったりするのではないでしょうか。その人との関係の中で、振り回されたり、傷つけられたりする…信じていたのに裏切られたような思いにさせられたり、期待していたのに失望させられたりする…。正直、もうこんな人と関わっていたくないと思ってしまうこともある‥。しかしながら、冷静に色々考え、歩みを振り返ってみる時、自分がここまでやってくることができたのは、その人がいたからで、肝心なところで、支えられてきたということがあったりする…。そういう「人と人との関係」が私たちの身の回りにもあったりするんじゃないかと思います。

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