本日のローズンゲンの御言葉です。
「あなたは深い喜びと/大きな楽しみをお与えになり/人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように/戦利品を分け合って楽しむように。」イザヤ9:2
「今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」ヨハネ16:24
私たちの教会には、昨年まで礼拝に出席していたミャンマー出身のSさんご家族がおられます。Sさんたちはコロナが拡大した頃、ミャンマーに帰られたのですが、その後、今年の2月に軍事クーデターが起こりました。私たちはSさんたちご家族を覚えて、ずっと祈っていたのですが、昨日、Sさんのお子さんのMちゃんからお手紙が届きました。幼小科の教会学校では、たびたび子どもメッセージをMちゃんに送っており、そのことの感謝のお手紙でした。
お手紙は二枚送られていて、一枚にはSさんご家族の似顔絵が描かれていました。そのお手紙と他に写真も送られてきました。その写真にはタンタランという町の教会が軍による攻撃で燃やされている写真が写っていました。Mちゃんの手紙には、次のように記されていました。
「ミャンマーでおこったことをちょっと言います。タランタンという町にクーデターがばくだんをばくはつさせ、てっぽうでうったから、163けんのおうちと、2けんのきょうかいがもえました。タランランは、Christianの人がいっぱいいます。どうか、おいのりするとき、タランタンのことをおぼえておいのりください。」
Mちゃんの手紙を読みながら、Sさんたちのこと、ミャンマーの方々が置かれている現状について、ただただ祈らされる思いでした。Mちゃんの手紙には、教会学校のメッセージに応えるコメントも書かれていました。
「わたしはおうさまになれたら、たみみんなを、おなじくらしかたにくらしさせて、なかよく、たのしく、くらしさせます。」
旧約聖書の預言者が、為政者について語っている聖書の中からメッセージしてくださったことに対する応答として、このように書いてくれたのだと思います。現在のミャンマーの状況を思う時、なおさらMちゃんの言葉が心に迫ってきます。本日の箇所には、次のように記されています。
「今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」
本日の御言葉を読みながら、Sさんたちご家族のことを改めて思います。そして、何よりミャンマーのために祈らされます。主にある守りと導きがミャンマーにありますよう、そして、Mちゃんが願っているように、人々が平等に、仲良く、楽しく、暮らせますようにと祈ります。