本日のローズンゲンの御言葉です。

「主は言われた。『わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。』」出エジプト 33:19

「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」Ⅱコリ8:9

以前、教会学校の小学生のクラスの教師を担当させていただいた時のことです。はじめて、小学生の子どもたちに向き合うにあたって、ある方からこんなアドバイスをいただきました。

「子どもたちに大切なことを伝える時には、まず腰をかがめて、その子と同じ目線になるように努めなさい。そうして、その子の目を見て話すように心がけなさい。どんなに真剣に叱ったりしても、ただただ大きな声で怒るなら、その言葉は子どもたちには伝わらないよ。上から大きな声で怒っていたら、子どもたちにはその声は雷と同じようにしか考えない。雷が来たら、どうする?とにかく逃げるし、陰に隠れるでしょ。その雷が通り過ぎるまでやり過ごすことしか考えないでしょ。あなたが色々語る言葉も、子どもたちにはそんなふうにしか伝わっていないことがあるんだよ。子どもに言葉を伝えるにはどうやって伝えるかが肝心なんだ。そのためにはまず、相手の目線に降りていくことが大事なんだよ。」

もう何十年も前に聞いたアドバイスですが、心に残っています。

本日の箇所には、次のように記されています。

「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」

この御言葉を読みながら、「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた」という言葉が心に留まりました。イエス様はなぜ、私たちのために貧しくなられたのでしょうか。色々なことが言えるのだと思いますが、その一つとして「私たちと同じ目線に立ってくださるため」ということが言えるのだと思います。先ほどの子どもたちの話のように、私たちはしばしば、どれだけ大切なメッセージが語られても、私たちの上を素通りしてしまうようなことがあるのだと思います。そんな私たちに神様のメッセージを伝えるために、神様ご自身が身をかがめて、私たちと同じ目線に立とうとしてくださった…。それがイエス様が私たちのために貧しくなられたことの大切な意味なのだと思います。

昨日、一人の子どもと散歩に出かけました。自動車の通りが割と多い道路を歩きながら、川の河川敷まで散歩に出かけたのですが、元気なその子どもは、すぐに一人で走り出そうとしていました。ですが、勝手に走り出して、道路に飛び出したりしたら大変です。そこで道路を渡る時に、その子と約束しました。「道路を歩いている間は、絶対に手をつなごうね。」

途中、何度も手を振り払って、走りだそうとしていましたが、その度にかがみながら、その子の目線になって、「約束したでしょ、道路を歩いている間は手をつなごうね。」と話しました。結果、何とか道路を渡っている間は、手をつないで歩くことができました。何度も手を振り払おうとするその子の手を一生懸命握って、その子に繰り返し説得をしたりしながら、ふと「イエス様もきっと、私たちにこんなふうに関わっておられることがあるんだろうな」と思いました。

イエス様は私たちに繰り返し、繰り返し、「約束したでしょ。この手を離してはいけないよ」と語りかけてくださっているのだと思います。でも、私たちはすぐに自分勝手な歩みに進もうと、イエス様の手を振り払おうとしていることがあるのではないでしょうか。未だにそんな私がいるかも知れませんが、そんな私をとれでもとらえ続けてくださり、導き続けてくださっているのだと思います。その主の取り扱いの中で歩むことができているのだなと思わされました。

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