本日のローズンゲンの御言葉です。

「主よ、わたしたちのために/大きな業を成し遂げてください。わたしたちは喜び祝うでしょう。」詩編126:3

「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。」エフェソ1:3

本日の箇所には、次のように記されています。

「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。」

これは、エフェソの信徒への手紙の冒頭の言葉です。エフェソの信徒への手紙の1:1-2は、挨拶の言葉が述べられていて、それに続く形で、本日の御言葉が語られています。日本語の訳では、分かりにくいのですが、ギリシア語の原文では、冒頭「ほめたたえられますように」という言葉から始まっています。つまり、エフェソの信徒への手紙は、挨拶の言葉が述べられた後、まず最初に「ほめたたえられますように」という言葉で始まっているのです。このことが印象深く思います。「エフェソの信徒への手紙」を始め、新約聖書の各書簡が書かれた時代というのは、キリスト教は少数派で、迫害もされていました。教会を取り囲む状況には、様々な課題があり、教会で共に集まって礼拝することもままならない…。少なからず緊張感があったのではないかと思います。そういう中で、人々は互いに信仰共同体として繋がり、歩んでいました。その中で、大きな役割を果たしたのが、「手紙」でした。大変な状況の中、初代教会の人々は、手紙を通して、互いの信仰を確認し、共に主を見上げ、互いに繋がりあい、励ましあっていったのです。その状況を思います時に、どこか今の私たちの状況と重なってくるように思います。現在、私たちも、コロナの状況の中で、思うように集まって、礼拝することも難しい状況があります。毎週毎週の礼拝も、少なからず緊張感を持ちながら行われています。そのことを思います時に、本日の手紙を受け取ったエフェソ教会の人たちのことを思うのです。きっとエフェソ教会の人たちは、この手紙の中で、「ほめたたえられますよう」という言葉を聞き、励まされ、強められたのではないかと思います。私たちも同様に、毎週後の礼拝を通して、御言葉を通して、讃美を通して、互いに励ましあい、支えあいながら歩んでいくことができたらと思うのです。

次週は、礼拝後に、次年度の執事を選出するための総会が行なわれる予定です。このコロナの状況の中で、書面総会にすべきか、悩ましいところですが、今のところ、自治体から蔓延防止措置や緊急事態宣言が出されていない状況なので、当初の予定通りに礼拝後に総会を行なうことになるのだと思います。非常に判断が難しい状況なので、そもそも総会が成立するかどうか、場合によっては、総会が成立しないという事態もあり得るかも知れません。しかし、今できる最善の形を祈りつつ、日曜日に備えていきたいと思います。また、どのような形であれ、次年度の執事が選ばれていった時に、大事なのはその後なのだと思います。私たちが祈りをもって選んでいった執事を、そこからどう執事として支え、立てていくことができるのかということが一番大切なのだと思うのです。コロナの緊張感は、これからも続くのだと思いますが、その中で大切な働きを担ってくださる執事の皆さんお一人お一人をぜひ祈りをもって支えていきたいと思うのです。いずれにしましても、次週の礼拝、そして、執事選出臨時総会のためにお祈りください。

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