「神は再びヤコブに表れて」

創世記35章6-15節

私はよく「日記を書くこと」をお勧めします。特に色々な課題を抱えて、教会に相談に来られて、一緒にお祈りしたりする時に「日記を始めたらどうでしょうか」ということをお話しするのです。大変な状況の中で日記をつける余裕なんてないと思われることも多いと思うのですが、大変な時というのは、自分の心の中というものも整理できていなかったりすることも多かったりします。そんな中、自分の思いをとにかく文字に書き出してみるということで、自分自身が整理されていくということもあるのです。なので「何でもいいですから、今の自分の思いを日記に書いてみませんか」とお勧めするのです。ただ、私が日記をお勧めするのは、それだけではありません。実際にその時の色々な思い、特に今、自分が悩んでいることだったり、苦しんでいること、そして、祈っていることなどをありのままに日記に書き記していると、しばらく経って、その日記を見返していく時、本当にたくさんの発見があるのです。あの時はこんなことで悩んでいたんだなということを思い返しながら、今も色々な問題があるけれど、あの時の問題は無事乗り越えることができているんだなということを気づかされるということもあると思います。そして、そのような気づきの中に、神様の取り扱いや神様の御業というものを感じることもあるのではないでしょうか。神様の御業は、今日、明日ですぐに起こされるものばかりではありません。年月をかけながら、少しずつなされていく神様の御業というものもあるのです。そんな中、私たちはせっかくの神様の御業に気づかないということもあります。日記を記す時に、そういうことに気づかされていくことがあります。日々の歩みの中でつい目先のことしか見えなくなっている自分が立ち止まらされ、色々な気づきが与えられ、自分がこんなにも神様に守られ、支えられてきていたんだということに気づかされていくということがあるのです。そして、そのような気づきによって、今目の前にしている色々な現実の状況が少し違った形で見えてくる…。今の状況も中々先が見えないけれど、これまでがそうであったように、そんなふうに神様に取り扱われているんだなという思いにさせられていくことがあるのだと思います。

ヤコブは日記をつけていたわけではありませんが、本日の箇所の出来事とは、ヤコブの中で、そんな思いにさせられた出来事だったんじゃないかなと思います。本日の箇所は、ヤコブたちがベテルというところにやって来た時の記述です。ベテルは、以前、ヤコブが「兄を避けて逃げていった時」やって来た場所でした。ヤコブはこのベテルに来て、20年前のことを思い返したのではないでしょうか。そんな中、色々なことを考えされたのではないかと思います。そして、神様への思いを新たにしたのではないかと思います。ヤコブはこの時、窮地に立たされていました。でも、それは20年前のあの時も同じでした。そんな中、20年前も今と同じような思いにさせられていたけれど、そのような状況から、神様は確かに私を守ってくださった…。その神様が今も私たちと共にいてくださる…。だから、きっと大丈夫…。そのような思いにさせられたんじゃないかと思うのです。

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