「ヨセフの夢」

創世記37章5-11節

ヨセフとヨセフの兄弟たちとの間には大きな溝がありました。本日の出来事は、それに拍車をかけるような出来事となりました。ヨセフはある時、夢を見ました。その夢は畑でヨセフたちが束を結わえていたところに、ヨセフの束の周りにヨセフのお兄さんたちの束が集まってきて、ひれ伏したという夢でした。明らかにそれは、ヨセフの兄たちがヨセフにひれ伏すようになるということを表していた夢でした。ヨセフは何の悪気もなく、見たままのことを兄さんたちに伝えたのだと思います。しかし、それを聞いた兄たちは腹を立てます。そして、「なに、お前が我々の王になるというのか。お前が我々を支配するというのか。」(37:8)と言うのです。ただでさえ、受け入れられないヨセフが、やがて自分たちの王になるなんて、兄たちとすれば、到底受け入れられないことだったのだと思います。そのようにこの夢の出来事は、ただでさえギクシャクしていた関係が、さらに悪くなってしまったという出来事となりました。読んでいて、「それはそうなってしまうだろうな」と思ったりします。そんなヨセフとヨセフの兄たちの姿を見ながら、正直言って、「こんな話、しなければ良かったのに」と思ってしまいます。しかし、どうでしょうか。ヨセフが本日の箇所で見た夢というのは、実際にその通りになっていくのです。そのようにこの夢は、将来、神様が実際にヤコブの家になさろうと計画していた御業を表している夢でした。そして、その神様の御業というのは、突き詰めて言うなら、ヤコブの家を救い出すための御業、ヤコブの家にとっての恵みと憐れみの御業でもありました。ヤコブにしても、ヨセフの兄弟たちにしても、この状況ではそんなこと分かりっこないでしょうし、とうてい、受け入れられるものではなかったかも知れません。しかしながら、その夢というのは、彼らがやはり知っておくべき内容、聞かなければいけない内容でもあったのだろうと思うのです。ですから、やはりヨセフは、お兄さんたちを始め、家族にこの夢の話を伝えなければならなかったと思うのです。

そんなことを思いながら、本日の「ヨセフの夢」って、いったい何だったのだろうと考えさせられました。夢の話をしたヨセフは、お兄さんたちには受け入れられませんでした。ですが、そこには真実がありましたし、お兄さんたちに伝えなければならないメッセージでもありました。お兄さんたちはその意味は最初分からなかったかも知れませんが、この夢には私たちの思いをはるかに超えた神様の御計画が秘められており、その根っこの部分では、ヤコブやヤコブの家族を救いに導くための計画でもありました。そのように考えてみます時、たとえば本日の「ヨセフの夢」の話を私たちに引き寄せて考えてみた時、「聖書のメッセージ」と重ねて考えることができるかも知れないと思うのです。

 そして、そんなふうに考えながら、なおさら、思わされたのは「伝え方」についてでした。ヨセフの夢の話が、ヨセフの兄弟たちに中々伝わらなかったように、私たちが聖書のメッセージを伝える時にもそういうことがあるかも知れないと思うのです。そんな中「伝え方」というものが問われていることもあるかも知れないと思うのです。

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