「夢見るお方がやって来る」
創世記37章18-28節
本日の箇所には、ヨセフに敵意をむき出しにしながら、ヨセフに対して酷い目を遭わせていく兄たちの姿が記されています。本日の箇所を読みながら、心に留まったのが、兄たちが語った「夢見るお方がやって来る」(37:17)という言葉でした。兄たちはこれまでヨセフから聞いた夢の話を馬鹿にして、このように語っているのですが、どうでしょう。ヨセフが語った夢の話というのは、そんなふうにバカバカしいと右の耳から左の耳に通り過ぎてしまったり、聞きたくないと言って、耳をふさいだりして良かったような話なのでしょうか。兄たちの気持ちとしては、そうだったと思います。しかし、この夢の話は、真実を語っている話であり、兄たちはきちんと心に受け止めていかなければならない話だったのです。
せっかく兄たちに夢の話を語ったにも関わらず、反発され、「夢見るお方がやって来た」とバカにされてしまうヨセフの姿に何とも言えない思いにさせられます。しかし、ぜひこのことについて考えてみたいと思います。ヨセフは正しいこと、とても大切なことを語っているのですが、それを兄たちに聞いてもらえませんでした。そういう意味ではヨセフは伝えることに失敗したということができるのかも知れません。
そして、本日の箇所には、もう一人、そういう人がいるんじゃないかと思います。それはヨセフの兄弟たちのルベンです。ヨセフの兄たちが、ヨセフを憎み、ヨセフを殺そうとたくらんでいる中で、ルベンは何とかヨセフを助けてあげたいと思いました。そして、「命まで取るのはよそう」と語ったり、「血を流してはならない」と語ったりするのです。しかし、兄弟たちはルベンの言うことに耳を貸そうとはしていません。そこでルベンは、せめてヨセフを穴に投げ入れさせるようと考えました。穴に投げ入れさせて、ヨセフをしばらくそこに入れておいた後、ヨセフを助け出してあげようと考えたのです。しかし、このこともルベンの思い通りにはいきませんでした。ルベンが目を離した隙にヨセフはミディアン人たちに手によりイシュマエル人に売られ、奴隷として連れていかれてしまったのです。そんなふうに、ルベンも、必死になって、兄弟たちに大切なことを伝えようとしているのですが、その言葉が聞いてもらえませんでした。そんな中、ルベンは伝えたいことが上手に伝えられず、失敗してしまうのです。
本日の箇所には、そんなふうに伝えることに失敗した二人の人の記述が記されています。正直、二人の姿を思う時、伝え方、やり方について、もっとちょっと何とかならなかったのかなと思ったりします。そういう伝え方、やり方じゃ伝わらないよ、と思うのです。しかし、ヨセフやルベンが語ろうとしたこと、大切にしようとしたことは決して間違いではありませんでした。そして、そういうことが私たちにもあるんじゃないかと思います。私たちというのは、つい表面的にうまくいくことだったり、成功することだったりに目を向けていることはないだろうかと思います。それも大事かも知れません。しかし、何より大切なことは、そもそも、それが正しいことか、間違っていないかということなのだと思うのです。