「エジプトに連れてこられたヨセフ」
創世記39章1-5節
創世記37章には、ヨセフがエジプトに連れて来られるようになった経緯が記されています。ヨセフの父ヤコブが、ヨセフを溺愛し、特別に可愛がっていたゆえに、ヨセフは兄弟たちから恨まれていました。その結果、とんでもない事件が起こります。ヨセフの兄弟たちは、これまでのつもりにつもった恨みから、ヨセフを捕らえ、穴の中に投げ入れてしまうのです。兄弟たちはそのままヨセフを殺そうとまで考えていました。何とか殺されずに済んだのですが、ヨセフはそのまま奴隷として売られてしまうのです。こうして、ヨセフはエジプトに連れてこられることになったのです。
本日、ご一緒に考えたいと思うのは、この「エジプトに連れてこられたヨセフ」についてです。この時のヨセフの思いについて考えてみたいと思うのです。この時、ヨセフは本当に私たちには想像もつかないような悲しみや痛みを経験していたのだと思います。あまりに色々なことがありました。自分の身に起こっていることが分からない…。心がついていかない…。そんな状態だったかも知れません。いずれにしても、エジプトに連れてこられたヨセフのことを考える時、本日の箇所に記されているヨセフの姿が心に迫ってきます。ヨセフは、イシュマエル人にエジプトまで連れてこられました。そして、ヨセフはファラオの宮廷の役人で、侍従長のエジプト人ポティファルに買い取られることになります。こうして、エジプトでの歩みが始まりました。聖書は、その中でヨセフが「うまく事を運んだ」と記しています。そして、ヨセフは主人であるポティファルから大いに気に入られ、信頼され、ついにポティファルから家の管理のすべてを任されるほどになっていくのです。この記述を読みながら、すごいなと思います。何よりヨセフが、そんなふうポティファルの家で、人々に向き合い、仕えている姿に、すごいなと思うのです。ヨセフはこの時、本当に傷ついていたのだと思います。特に人との関係に傷ついていました。ヨセフは、この時、一番信頼していた家族から、とんでもない仕打ちを受けていました。兄たちの側としては、これまでヨセフに対して積もり積もった思いがあったかも知れませんが、ヨセフはそんなこと知りませんでした。ですから、兄さんたちからあんなことをされて、ヨセフは本当にショックだったと思います。「どうして?」という思いだったのではないでしょうか。信じていた人に裏切られ、もう色々なことが分からなくない…。そういう状況だったんじゃないかと思うのです。そんなことを思います時に、本日の箇所で、ヨセフがポティファルの家で「うまく事を運んだ」ということが単に、物事を要領よくうまくやったというだけではなく、ポティファルとそのような信頼関係を築いていった…。そのようにポティファルの家の人たちと関わっていったことに、それって当たり前ではないんじゃないかと思うのです。そして、ヨセフはそういうふうに接することができたことの背景にも、主の計らいがあったのだと思います。主が共にいてくださり、ヨセフを支え、励まし、慰めてくださったから、そんなふうに関わることができたのではないかと思うのです。