本日のローズンゲンの御言葉です。
「これもまた万軍の主から出たことである。主の計らいは驚くべきもので/大いなることを成し遂げられる。」イザヤ28:29
「キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。」エフェソ2:17
5月15日、沖縄の本土復帰50年の式典が行われました。式典の後、M姉が長崎新聞の記事を送ってくださいました。そこには、次のように記されていました。
「1972年5月15日、日本復帰の日は大雨だった。戦後沖縄初のアナウンサー川平朝清さん(94)は、『沖縄の涙のようだと思った』と振り返る。『実態は米軍基地を抱えたまま。(復帰の)うれしさと、悲しさの両方があった』。50年経った今も基地集中は変わらない。県民が望んだ『本土なみ』を、改めて求めるべきだと感じている。」
記事を読みながら、「うれしさと、悲しさ」の両方があったとの言葉が心に留まりました。私たち本土に住む者たちは、この50年、「うれしさと、悲しさ」の両方を抱えておられた沖縄の方々の思いをどこまで理解しようとしてきたでしょう。その思いを受け止めることもないまま、50年が過ぎて、うれしさと思いでさえ、失望にかえさせてさしまっているような状況がありはしないかと思うのです。そんなことを思いながら、50年前に雨の中、本土復帰を覚えながら,過ごしておられる沖縄の方々のことを少しでも心に覚えていきたいと思いました。
本日の御言葉には次のように記されています。
「キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。」
本日の御言葉を読みながら、改めて平和の福音という言葉が心に留まりました。そして、改めて先日の沖縄復帰50年のことを思わされました。昨日、家族で車で出かけながら、そのことをあれこれ話していた時、ふとサザンオールスターズの『平和の琉歌』という曲が流れてきました。その歌を聞きながら、「今、改めて心に留まる歌だね」と話しあいました。もし聞く機会がありましたら、お聞きください。
沖縄のことを始め、ミャンマーのこと、ウクライナのことを思いつつ、本当の平和について祈らされます。