本日のローズンゲンの御言葉です。
「柔らかな応答は憤りを静め/傷つける言葉は怒りをあおる。」箴言15:1
「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。」エフェソ4:26-27
本日の箇所には、次のように記されています。
「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。」
この御言葉を読みながら、二つのことを思いました。一つは、ここでは、怒ること自体に「してはならない」と言われているわけではないんだなということです。自分の中で腹が立つこと、受け入れられなかったり、赦せないことがあっても、それをいつも飲み込んで、我慢して、怒らないようするよう、言われているわけではないのだと思うのです。私たちは、腹が立つことや「それは違う」と思うことがあるのだと思います。そのような時、怒ることは自然なことなのだと思いますし、怒らなければいけない時というものもあるのだと思います。そういう時にきちんと怒るということは大事だったりするのではないでしょうか。しかしながら、その一方で、本日の御言葉が語っていることを心に留めていきたいと思います。たとえ怒ったとしても「罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」ということです。たとえ怒ることがあったとしても、その怒りのまま、行動しないように、怒りをいつまでも引きずらないようにと言われているのだと思うのです。それは、怒りをモチベーションにしたり、怒りを動機として進もうとしても、どこかで道を誤ってしまうか、行き詰ってしまうだろうからです。ある牧師先生が、こんなことをおっしゃっていました。
「怒りって、すごいエネルギーになるんだよね。怒りのパワーで突き進むことができることがある。でも、それを続けるのは本当に大変だし、いつかは行き詰ってしまう。その時にそこからまた軌道修正して踏み出すのって、本当に大変なんだよね。」
本日の御言葉を読みながら、その先生の言葉をも思い出しました。今の私たちの世界は、本当に悲しいこと、腹が立ってしまうことがあるのだと思います。それほどに理不尽なことが溢れ、それがまかり通ってしまっているように思える状況があります。私たちはそれらの事柄に決して、慣れてしまうことなく、おかしいことに対し、おかしいと思える感性を持ち続けることは大事だと思います。しかしながら、一方で感情的な思いに引きずられることなく、本当に大切なことは何かを見分けていけたらと思います。そのためにも御言葉に聞き続け、その御言葉によって軌道修正させられたらと思いました。(鈴木牧人)