「解き明かしてくれる者がいない」

創世記40章6-19節

本日の箇所は、ヨセフが、ファラオの給仕役と料理役の夢を解き明かしたという記述です。ヨセフがエジプトの牢獄に捕らえられていた時、エジプト王ファラオに仕えていた「給仕役の長と料理役の長」(40:2)が牢獄にやって来ました。二人はある時、夢を見ました。彼らは自分たちが見た夢をただの夢ではないと感じました。ですが、さっぱり意味が分かりません。彼らは考えあぐね、ふさぎこんでいたところ、ヨセフは二人に声をかけ、二人が見た夢の解き明かしを行なったのでした。

本日の記述は色々な読み方、受け止め方をすることができるんじゃないかと思います。そんな中、一つの読み方として、この「ヨセフの夢の解き明かし」を「福音宣教の働き」に通じるメッセージとして受け止めることができるんじゃないだろうかと思います。本日の箇所で、給仕役、料理役は、深い悩みを抱えていました。彼らはファラオに対して過ちを犯し、怒りを買ってしまっていたのです。私たちが想像しても、大変な事態だと思います。とんでもないことになってしまった…。これから一体どうなってしまうんだろう…。どうすればいいんだろう…。本当に先が見えないような状況だったのだと思います。そういう中で、彼らは不思議な夢を見ました。その夢に何かを感じ、その意味を知りたいと思ったのです。彼らは今のこの先の全く見えないような状況の中で、自分に何かを指し示してくれるような何かを切実な思いで求めていたのだと思います。だからこそ、夢の意味を知りたかったのだと思います。給仕役、料理役は「我々は夢を見たのだが、それを解き明かしてくれる人がいない」と訴えました。何というのでしょう。私は彼らの姿が時々の私たちの姿と重なってくるんじゃないだろうかと思います。色々な思い、悩みを抱えながら、不安や恐れの中で、何かを求めている…。自分の歩みに何かしらを指し示してくれるようなものを求めている…。でも、「解き明かしてくだる人がいない」と呻いている…。私たち自身、そういうことがあるかも知れないと思います。あるいは私たちの周りに、そういう人がいるかも知れないと思います。そんな中、その人にヨセフが遣わされた…。そして、夢を解き明かした…。このヨセフの働きが、福音宣教の働きなんだなと思うのです。

本日の箇所で、ヨセフが二人に語った「解き明かしは神がなさることではありませんか」(40:8)という言葉が心に留まります。ヨセフは二人に対し、まっすぐに神様を指し示しました。私たちもそのように神様を指し示すことができたらと思います。私たちは時に、色々な悩み事だったり、心配事を抱えている時、こういうことがぼやけてしまっていることがないでしょうか。結果、いつの間にか、私たち自身の力で何とかしようとしていることはないでしょうか。ヨセフのように神を指し示し、神を見上げていきたいと思うのです。私たちは時に福音宣教の働きでさえ、そんなことをしてしまうことがあるかも知れません。結果として、神様の働きではなく、人の働きにしてしまうことがあるのではないでしょうか。

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