本日のローズンゲンの御言葉です。

「主を畏れる人に救いは近く/栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう。慈しみとまことは出会い/正義と平和は口づけし」詩編85:10-11

「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、」ローマ5:1

私たちの教会では、今年度の年度聖句としてコロサイ3:15の御言葉を掲げています。

「また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3:15)

この御言葉を掲げた理由として、総会資料には、次のように記しました。

「私たちはコロナ感染症という問題に覆われながら、その下で『コロナとどう向きあえば』ということが否応なく問われ続けてきました。また、そのようなコロナのことが引き金となり、世界が大きく混乱し、変わりつつあります。そのような状況の中で、次第次第に、人が人の上に君臨し、支配しようとするような世界も広がりつつあるのではないかと思うのです。そのようなことを考えてみる時、現在、私たちを取り囲む世界には、『支配』という言葉が様々な形で問われているのではないかと思うのです。そんなことを思いながら、コロサイ3:15の『キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい』という言葉が心に迫ってきます。私たちを取り囲む世界がどのように変化しても、色々な問題が私たちを覆おうとしたとしても、私たちの歩みは全てが主の御手の中にあり、その御手によって生かされているんだということを心に刻んでいきたいと思います。そして、共に励ましあいながら、共にキリストを見上げ、キリストの平和に生かされ、歩んでいきたいと思うのです。」

この文章は、今年の一月に作成したものですが、それから半年以上が経ち、ますますこの言葉が心に迫ってきます。私たちの教会では、このコロサイ3:15の御言葉を基にしたオリジナル讃美を作成しました。今週の日曜日の教会学校の少年少女クラスでは、教会学校の前にこの讃美を歌ったそうです。金曜日に大変な事件があり、心が騒ぎ、社会全体が何かに飲み込まれてしまいそうになる思いがする中で、この讃美を歌いながら、この御言葉を心にしっかりと刻んでいきたいということを教会学校の中で話し合ったとのことでした。本当にそうだなと思います。本当にこの社会を、世界を様々なことが飲み込もうとするような空気がある中、私たちは全てが主の御手の中にあり、その御手によって生かされているんだということを心に刻んでいきたいと思います。そして、そのキリストの平和に生かされ、感謝を見失わずに歩んでいきたいと思います。

本日の箇所には、次のように記されています。

「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、」

この御言葉を読みながら、改めて、コロサイ3:15の御言葉が心に迫ってきました。そんな中、ぜひ、今この時、イエス・キリストを信じる信仰を通して与えられた義と平和とをしっかりと握りしめていきたいと思わされました。

鈴木牧人

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Translate »