本日のローズンゲンの御言葉です。

「主の使いはその周りに陣を敷き/主を畏れる人を守り助けてくださった。」詩編34:8

「すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、『急いで起き上がりなさい』と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。」使徒12:7

今朝は少し早めに起き、妻を空港まで連れていきました。宮古島の実家に帰省するためです。昨日、空港会社から連絡があり、「明日は空港が混み合うので早めにいらしてください」と言われました。加えて、昨日の夜からの大雨だったので、いっそう早く、家を出ることしました。朝出掛けにテレビを見ていたところ、佐賀や久留米で大雨注意報が出されていて、道路は大丈夫かなと思ったりもしたのですが、滞りなく、無事に見送ることができました。そんなふうに、福岡空港の往復でも、無事に行き来できるかどうか祈らされる思いでした。毎日の歩みもそんなことが多々あるのだと思います。日々、祈らずにいられない私たちがいるのではないでしょうか。神学部に入りたての頃、新約学の先生から言われたことで心に残っていることがあります。「主の祈り」の言葉についてです。私たちが通常祈る主の祈りでは「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」と祈っているのだと思いますが、その先生は次のようにおっしゃっていました。

「マタイによる福音書で、主の祈りを教えられたイエス様は、マタイ6:11で『今日も』ではなく、『今日』と語っておられる。この言葉には、昨日も、明日も、今日も、ではなく、今日、今まさに糧が与えられない困窮さがあって、それを必死に求めている思いが込められているんだ。」

お話を聞きながら、私たちは一日一日、主に養われ、生かされていないと歩めない存在なんだということを教えられました。本日の箇所には、次のように記されています。

「主の使いはその周りに陣を敷き/主を畏れる人を守り助けてくださった。」

本日の御言葉を読みながら、改めて、私たちが主に守り助けられながら、一日一日を歩んでいるんだということを思わされました。私たちはそのことに気づくことのあれば、気づいていないこともあるかも知れません。しかし、私たちとしては順風満帆に過ごしているその時にも、主の守りと助けの中で歩んでいるのだと思います。そのことを心に刻みつつ、歩んでいきたいと思います。

なお今回の雨で大変な思いをされた方々に主の守りと助けがありますようにと祈ります。

鈴木牧人

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