「そうすれば滅びることはない」

創世記41章17-36節

本日の箇所には、ヨセフがファラオの夢を解き明かしたということが記されています。ファラオが見た夢は二つでした。ヨセフはこの二つの夢について意味は同じだということを告げました。それはエジプトの国に今後、やって来る飢饉を告げる夢だというのです。ヨセフの言葉を受け、エジプトの国では、飢饉に向けての対応が始まることになります。エジプト中に蔵を作り、そこに食料を備え、飢饉が来ても食べ物に困ることがないように備えていったのです。本日の箇所を読みながら、私たちが何かの問題に直面した時、その問題にどのよう対応していこうとしているのかについて考えさせられました。

そんなことを思いながら、本日の箇所から、まず思うことがあります。それは、私たちが何か問題に直面した時に「その問題に蓋をしてしまわない」ということです。問題に蓋をせず、その問題をできる限り、みんなで共有しようとしていこうとすることが大事なのだと思います。本日の箇所もそうだったのではないでしょうか。ファラオの夢を通して、数年のうちに、エジプトの国を大変な飢饉が襲うことが明らかになりました。その時、エジプトの国は、ヨセフを中心にして、国全体でこの問題に取り組んでいくことになっていきます。ここには問題に蓋をせず、その問題をみんなで共有している姿が表れているのではないかと思います。「そんなこと当たり前だ」と思う人もいるかも知れません。しかし、現実には中々できなかったりすることなのではないでしょうか。私たちの中には、どこか問題に対して蓋をしてしまおうとする思いが働くことがあるんじゃないかと思うのです。また、問題をシェアにしようとしていく際にも、その情報が中々正確に伝わらないということもあります。結果、そのことがトラブルやパニックのもとになってしまうのです。そんなふうに、目の前の問題がちゃんと伝わり、その問題を共有するということは実際には中々難しかったりするんじゃないかと思うのです。しかしながら、問題を乗り越えていくという時には、その問題に蓋をしないことが本当に大事なのだと思いますし、その問題を共に共有し、乗り越えようとしていく時、それは問題を乗り越える大きな力になっていくのだと思います。

そして、私たちが共に担いあっていくためにも、そのことを喜びとしていくためにも、「祈り」を大切にしていきたいと思います。私たちが重荷を担いあう喜びに生かされていくことの根っこにあるのは、何より「祈り」だと思うのです。私たちは祈りによって、共に担いあうことができますし、同時に、祈りによって、互いに担いあっているんだということを確認することができるのだと思います。祈りには本当に力があります。実際、私はこれまで、祈りの奉仕を忠実にしてくださっている方に本当に励まされ、支えられてきました。様々な奉仕があるのだと思いますが、その中で祈りの奉仕は特に大切なものだと感じています。また私たちは、目の前の現実のことだけにあくせくしていると、自分だけが苦労しているような、そんな思いにさせられてしまうことがあります。そんな中、祈ることを通して、互いに繋がり、担っているんだということを確認することができるのだと思うのです。

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