本日のローズンゲンの御言葉です。

「あなたによって、わたしは敵軍を追い散らし/わたしの神によって、城壁を越える。」詩編18:30

「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。」Ⅱテモテ1:7

本日の御言葉には、次のように記されています。

「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。」

この御言葉は、テモテに対して語られた手紙の一節です。テモテは、使徒言行録によれば、パウロの第二回伝道旅行に同行者として選ばれ、その都度パウロの働きをサポートしてきました。テモテの働きは、パウロに同伴し、パウロと同じところで働きを担うばかりでなく、パウロが去った後、その地方に留まり続けて働きを担ったり、パウロの代理として派遣されたり、その都度、重要な役割を担っていくことになりました。若い青年であったテモテが、そのような働きを担っていくということは時にプレッシャーを感じたり、荷が重いと感じたこともあったのではないでしょうかそのような中で呼びかけられているのが、本日の御言葉です。この御言葉にこれまで度々励まされ、力づけられてきました。私たちの歩みの中には、時に気持ちが引けてしまうというか、臆病になってしまうことがあるのではないでしょうか。色々なことが上手くいかなかったり、自分たちの限界や身の丈を知らされ、自信を失って色々なことを考えてしまう時、そんなふうに思ってしまうことがあるのではないかと思うのです。

本日の箇所を読みながら思います。それは、「臆病ではない」ということが、どういうことであるのかということです。私たちは「勇ましくて、恐いものなし」であるということが、「臆病ではない」ことであるかのように思うかも知れません。しかし、本日の御言葉には「臆病ではない」こととして、神は「力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださった」と書かれているのです。ここに書かれている「力」ということに関しては「臆病ではない」姿として、理解できます。しかし、この箇所には、それに加えて、「愛」と「思慮分別」というものも「臆病ではない」姿として語られているということに注目したいと思います。この箇所を読みながら、「臆病ではない」ことは、ただ「勇ましくて、恐い者なし」ということではないんだなと教えられます。その人は、何より「愛することを忘れない人」であり、事柄を感情に流されることなく、きちんと見分けることができる「思慮分別のある人」なんだと思うのです。

今週、来週と、全国の少年少女大会、青年大会が行なわれます。このコロナの状況の中で、対面で行なうか、どうするか、本当に難しい選択に立たされ、少年少女大会は対面開催を選び取り、青年大会はオンライン開催を選び取りました。対照的な開催方法になりましたが、そのように決まっていったプロセスに、その両方の大会とも、「愛の思い」からの選び取りであり、一つ一つのことをよくよく祈り「思慮分別」した結果の選び取りだったことを感じます。

私たちは今も一つ一つのことを迷いながら、歩んでいます。そんな中、思うように物事が上手くいかなかったり、自分たちの限界や身の丈を知らされ、自信を失ってしまうようなことがあります。そんな中、色々なことを悶々と考えてしまう時もありますが、その中でこの御言葉に励まされていきたいと思います。

何より主から「力」をいただきながら、「愛する」眼差しを忘れないこと、そして、事柄をよくよく見分けるように主からの「思慮分別」の思いを与えられるようにと祈っていきたいと思うのです。

鈴木牧人

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