本日のローズンゲンの御言葉です。

「主はわたしの砦、わたしの歌。主はわたしの救いとなってくださった。」詩編118:14

「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」ローマ15:13

先日、大塚国際美術館に出かけてきました。そこで、心に残った一枚の絵に出会いました。ワッツという人が描いた「希望」という題名の絵です。絵には、天体を思わせるような、球体の上に一人の女性が腰をかけ、立琴を弾いている様子が描かれています。しかしながら、その女性は目隠しがされていて見ることができなくなっているのです。加えて、彼女が持っている立琴も、ほとんどの弦が切れてしまっていて、残された弦は一本だけになってしまっています。周りが何も見えない状況の中、彼女は残されたか細い一本の弦の音を聞き漏らさないようにと、必死に弦に耳を寄せている様子が描かれています。まるで、その弦の音色が彼女の残された「希望」であるかのように。この絵をワッツがどんな思いで描いたのだろうかと思います。そして、今の時代を思う時、まさにこの女性のような思いにさせられることがあるのではないかと思うのです。

現在、私たちの世界の状況は混沌を極め、先にあるものが見えなくなっています。その様子というのは、目隠しをされた女性と重なってくるのではないでしょうか。加えて、私たちが今まで目指していたものが崩され、価値観や考えが次々とひっくり返るようなことがたくさんあります。そんな中で、まさにこれまで奏でられた弦が次々と断たれてしまうような思いにさせられることがあるのではないでしょうか。しかし、そのような中でも、希望を見失わないでいたいと思います。目には見えないかも知れませんが、私たちに今も変わらずに呼びかけられている希望のメッセージに耳を傾けていきたいと思うのです。

本日の箇所には、次のように記されています。

「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」

本日の御言葉を読みながら、ワッツの絵を思いました。私たちはまさにワッツが描いた「希望」の女性のように、希望の源である神の約束に耳を傾けていきます。先の見えない時代の中で、様々な希望の弦が切れてしまっているかのように思う状況の中で、それでも信仰をもって神に思いを向けながら、聖霊に励まされながら、神の奏でる希望の音色に生かされていきたいと思うのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Translate »