成長感謝礼拝「愛という帯」

コロサイ3章12-14節 

今日は成長感謝礼拝です。私は新しいものが生み出され、それが育まれ、成長していくということを考える時、思い浮かべる聖書の御言葉があります。イエス様が語られた「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする」(マタイ9:17)という御言葉です。聖書の時代、ぶどう酒は革袋に入れて発酵させていました。その時、必ず、新しい革袋に入れることにしていました。そうではないと、革袋が破れてしまうからです。ぶどう酒というのは、ぶどうの汁から発酵する過程で、一時、どんどん膨れあがってくるのです。そして、発酵が収まってくると、今度は元の大きさに戻ってくるのです。そのように一度袋がパンパンになり、また戻る…。それが発酵過程で必ず通らなければいけないプロセスでした。その発酵過程に耐えられる革でなければならないのです。古い革袋は革が固くなってしまっていますから、膨らむことができないのです。ですので、袋が破れてしまうのです。イエス様はそのことを指して、新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだとおっしゃったのでした。
私はこれまでの色々な経験を通して、このイエス様の言葉は「本当だな」と思わされています。私たちが何か新しいことを始めていく時、それは、まさにイエス様がお話になられたように、「新しいぶどう酒」を注いでいくようなことだなと思わされるのです。そこでは色々なことが起こります。最初から、色々なことが整っているわけではないので、思いもよらないような問題やトラブルが起こります。こうしたいと思うようなふうに中々いかなかったり、その都度、一から考え直さなければいけないこともあります。そんな中、まさに発酵過程にある新しいぶどう酒と同じように「これ一体、どうなってしまうの?」と思ってしまうような思いにさせられることがあります。しかし、それというのは、起こって当然と言いますか、発酵過程として通るべきプロセスでもあるのです。そのように新しいことが始まっていく時というのは、問題が起こることが問題ではなくて、その問題にその都度、どう対応していくのかということが問われているのです。新しい革袋のように、その問題を受け止めるしなやかさだったり、柔軟さだったり、色々なことがあったとしても、お互いをつなぎとめようとしていく耐久性だったりというものが大事なのだと思います。そういうものを持てずに、私たちが四角四面の考えに凝り固まった革袋のようであるなら、そういう問題が起こるとすぐに躓いて、破れてしまうのです。
そして、そのような「新しい革袋」のイメージと、本日のコロサイ3:14で語られている「愛という帯」という言葉は繋がっているのだと思います。色々なことがある中で、私たちがそれをしなやかさでもって受け止めていく…。柔軟さでもって受け止めていく…。そして、忍耐をもって繋いでいこうとする…。それというのは、まさに「愛という帯」によってなされていくのです。

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