本日のローズンゲンの御言葉です。
「わたしの魂よ、再び安らうがよい/主はお前に報いてくださる。」詩編116:7
「どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。」Ⅱテサロニケ3:16
昨日の祈祷会は、本当に嬉しい時でした。祈祷会では聖書を読んだ後に、出席してくださって皆さんがそれぞれに、その聖書の御言葉から示されたことを分かち合っています。昨日は皆さん、ご自身の証しをしてくださっていました。ある方はこんな話をしてくださいました。
「祈祷会に出席するようになり、『御言葉を共に分かち合い、その恵みを味わうこと』の大切さや素晴らしさを噛みしめるようになりました」。
別の方はこんな話をしてくださいました。
「これまで色々なことがあって、いつの間にか自分のことしか考えられなくなっていました。そんな自分が少しずつ変えられ、周りの人たちと分かち合うことの大切さを考えさせられるようになりました。そのために祈祷会の場所が本当に大事だと思わされています」。
また、久しぶりに祈祷会に来てくださった方が、こんな証しをしてくださいました。
「バプテスマを受けて、クリスチャンになってから、数年が経ちますが、正直、イエス様への思いはどこかフワフワしたものだったと思います。私は声に出して何かを語るということが苦手です。なので、色々な思いを声に出して祈ることもできないでいました。そんな中、ある時、『口に出して祈れないなら、紙に書いてみよう』と思いました。そして、ノートに自分が神様に祈りたい言葉を書き記しようになったのです。そのように神様に願っていることを言葉に書くことを通して、改めて、自分の中の思いが整理されていくのを感じました。また、それまでの自分が、神様に何も求めても、期待もしていないのに、悶々とした思いだけ抱えている状態だったんだということに気づきました。そして、そのようにノートに書きながら、祈りの言葉を記していくうちに、確かに神様が私の一つ一つの思いや願いに応えてくださっているということに気づくことができました。」
それぞれの証しを聞きながら、本当に励まされました。その日の祈祷会では、「様々な祈りの課題を祈る前に、まず最初に神様への感謝の祈りから始めましょう」と語りあい、祈りました。改めて、私たちのただ中に今も主が生きて働いてくださっているんだなということを感じました。
本日の箇所には、次のように記されています。
「どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。」
私たちの日々の歩みには色々なことがあります。心騒ぐこと、煩うこともあったりします。私たち個々の歩みでもそうですし、私たちの周りの世界を見渡しても、そのことを痛感させられます。しかしながら、そんな私たちに、主は「平和」を与えてくださいます。昨日の祈祷会の証しを聞きながら、そのことを改めて思いました。祈祷会や礼拝、その他、様々な交わりを通して、共に祈りながら、御言葉に聞きながら、その主にある平和に生かされていけたらと思います。