本日のローズンゲンの御言葉です。

「わたしはアハワ川のほとりで断食を呼びかけ、神の前に身をかがめ、わたしたちのため、幼い子らのため、また持ち物のために旅の無事を祈ることにした。」エズラ8:21

「イエスは言われた。『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』」ヨハネ14:6

本日の御言葉には、次のように記されています。

「わたしはアハワ川のほとりで断食を呼びかけ、神の前に身をかがめ、わたしたちのため、幼い子らのため、また持ち物のために旅の無事を祈ることにした。」

この御言葉は、エズラ記の一節です。エズラは、多くの人々を引き連れ、ペルシャからエルサレムへ旅をしなければなりませんでした。しかし、その旅は大変危険な旅で、いつ盗賊や獣が襲ってきたりするか分かりませんでした。そんな中、エズラは旅の始めに神の御前に身をかがめ、旅の無事を祈ったのです。結果、エズラたちは無事、エルサレムまでたどり着くことができたのでした。

昨日、私たちの教会で、シンガポール日本語教会の伊藤先生が礼拝宣教をしてくださいました。伊藤先生の教会では、先日、数年ぶりに一泊の教会キャンプを行なったそうです。みんなでバスを貸し切って、キャンプをしたそうですが、「正直、キャンプを始める前、本当に大丈夫か、不安で仕方なかった」とおっしゃっていました。「まだコロナが十分に収束したとは言えない状態で、今の時点でそのようなキャンプを行なっていいのだろうか。けれど、この間、教会にはたくさんの新来者が与えられていて、ほとんどが互いにzoomでしか会ったことがなかった。そんな中、この時期にぜひ一度会っておきたいと話し合い、教会キャンプを行なうことにした。」キャンプ前、教会員の皆さんはたくさん祈ったそうです。結果、無事、教会キャンプを行なうことができたそうです。本日の御言葉を読みながら、昨日聞いた伊藤先生の証が重なってきました。

改めて、私たちはそのように祈ることが赦されているんだということを思います。目の前に色々な課題、悩みごとに向き合わされる中、まずそのことを率直にそのまま主に打ち明け、祈ることが赦されているのです。私たちは時々に、このことが抜け落ちてしまうことがあるのではないでしょうか。でも、そのように祈る時、私たちの日々の歩みに活き活きと働いてくださっている主の御業を知ることができます。そして、そのような積み重ねを通して、神様という存在を活き活きと知ることができるのです。本日の御言葉を読み、伊藤先生の証しを思い出しながら、改めて、私たちはそのような信仰の歩みに招かれているんだなと思いました。

鈴木牧人

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