本日のローズンゲンの御言葉です。

「主は御自分の民に贖いを送り/契約をとこしえのものと定められた。御名は畏れ敬うべき聖なる御名。」詩編111:9

「この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。」Ⅰヨハネ2:2

「約束」という言葉の語源、由来についてご存じでしょうか。「約束」の語源・由来は、次のようなものだそうです。約束の「約」の右側にある「勺」の文字は、液体の一部分を汲んださまを表した文字です。その「勺」に糸が付いた「約」の文字は、糸を引き締めて目立たせた「目印」を表し、目印をつけて取り決めする意味となります。約束の「束」は、木を集めて紐を回して縛ったさまを表した文字です。つまり、「約束」という漢字は目印をつけて取り決め、そこから動かないようにすることを意味しています。そのように一つの場所を決めて、それを目印にして、その場所から動かないようにするのが「約束」だというのです。

聖書というのは、「約束」についての書物です。旧約聖書、新約聖書は、共に神様と私たちの契約、約束の言葉が記されています。旧約聖書は旧い契約、新約聖書は新しい契約を表しているのです。私たちにとって、聖書は何かということを考えながら、私は「約束」という言葉の語源について思いを巡らせます。私たちは、この聖書の御言葉を通して、神様と私たちの関係の動かない場所をその都度、確認するんだなと思うのです。私たちはすぐに迷ってしまいます。日々の歩みであくせくしながら、自分が本来あるべきところが分からなくなり、いつの間にか、迷い出てしまうことがあるのです。自分自身のこととしてそんなふうに思うのです。そんな中、聖書が語る「変わらない神様との約束の言葉」を通して、その都度、私たちが本来、あるべきところを確認し、立ち戻るべきところに立ち戻っていくことができるのです。

本日の御言葉には、次のように記されています。

「主は御自分の民に贖いを送り/契約をとこしえのものと定められた。御名は畏れ敬うべき聖なる御名。」

この御言葉には「契約」について語られています。そして、それに先立って、「贖い」ということが語られています。この二つの言葉が心に留まりました。改めて、私たちは、聖書が語る変わらない神様との約束の言葉を通して、その都度、私たちが本来、あるべきところを確認し、立ち戻るべきところに立ち戻っていくことができるんだなと思いました。ですが、それができるのは、何より、神様が私たちに贖いを成してくださったからです。私たちは迷い出てしまう時、時々にそんな自分に落ち込んだり、自暴自棄に陥ったりしてしまうことがあります。しかし、それでも、私たちは神様に贖われ、赦されていることを信じ、その恵みに信頼しながら、神様に立ち戻っていくことができるのです。それがどんなことがあっても動かされることのない神様と私たちの関係なのです。その関係をいつも覚えていたいと思います。

鈴木牧人

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