「あなたは良くなったのだ」
ヨハネによる福音書5:10-18
本日の箇所はヨハネ5:1-9に記されている「ベトザテの池の癒し」の記述のその後です。ここでイエス様はベトザテの池で癒された人に対して、「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない」(5:14)と言われました。イエス様がここでお話になった「あなたは良くなったのだ」という言葉の「良くなる」ってどういうことなんだろうと思います。色々なことが言えるのだと思います。しかし、この人が決定的に経験したことがありました。それは、イエス様に出会ったことでした。そして、イエス様の御言葉を聞いたこと、その御言葉を信じて踏み出したことでした。それまで、この人は、他の人たちから、ベトザテの池に入れば、きっと良くなると聞かされていました。そうすれば良くなると信じてきました。ですが、イエス様に出会い、「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」(5:8)との言葉を聞きました。そして、その言葉に応えて歩み出したところ、この人は自分の足で立つことができたのです。そのようにして、この人は身をもって、イエス様の御言葉を信じることの素晴らしさ、従うことの素晴らしさを経験しました。「御言葉に生かされる者」として歩み始めたのです。「あなたは良くなったのだ」ということは、そういうことなのだと思います。それまではこの人も、他のユダヤ人たちと同じように、自分の思いだけで突き進み、的外れの方向に向かってしまうことがあったのだと思います。そんな中、イエス様の御言葉に、本当になすべきことに気づかされ、その御言葉に従う道を歩み出した…。そのような、この人に対して「あなたは良くなったのだ」と言われたのです。
ですが、そのようにイエス様の御言葉に歩み出した、この人の周りには今も、色々な声がありました。イエス様の御言葉に応えて、床を担いで歩き出したこの人に対して「ちょっと待った。何でそんなことをしているのか」という人がいたり、「床を担いで歩くなんて、そんなのダメだ、間違っている」と批判する人がいたのです。そのように、この人の周りには、イエス様の御言葉とは違う方向に向かわせようとする言葉が溢れていました。そんな状況に対して、イエス様は「もう、罪を犯してはいけない」と言われたのです。イエス様に出会い、イエス様の御言葉が本当だということを、身をもって知ったのなら、あなたを生かす言葉に出会ったのなら、それを見失ってはいけないよ…。あなたを脇道にそらすような言葉に惑わされてはいけないよ…。そうじゃないと、もっとおかしな方向に向かってしまうことがあるんだよとおっしゃったのだと思います。
私たちにとって「良くなる」ということは、何よりも「良い方であるイエス様にしっかりと繋がること」、「その御言葉に信頼し、聞き従っていくこと」なのだと思います。私たちは皆、「的はずれ」を抱えています。そんな私たちを良くしてくださるのはイエス様です。イエス様の御言葉です。私たち自身は迷いやすいですが、そんな私たちがその都度、御言葉に気づかされ、立ち戻られながら、軌道修正していくことができるのです。