本日のローズンゲンの御言葉です。
「御憐れみがわたしに届き/命を得させてくださいますように。あなたの律法はわたしの楽しみです。」詩編119:77
「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、」フィリピ1:9
昨日から壱岐教会に来ています。昨日の朝一のジェットフォイルで、博多港を出航し、壱岐の郷ノ浦港に向かいました。博多を出航する際、雨はそれほどでなかったのですが、だんだんと強まっていき、港に着き、さらに教会に着く頃には激しい雨となっていました。飛永先生曰く、「雨の日は足元が滑りやすく、転びやすいので、教会に来られない人がいるかも知れない」とのことでした。確かに、横なぐりの強い雨で「こんな時に教会に来るのは大変だな」と思ってしまうような状況でした。なので、「今日は、礼拝参加者が少ないのかな」と思ったりしていました。しかし、いつもの皆さんが教会に来られていました。そんな中、Kさんというご夫婦が一番雨風の激しい時に教会に来られました。教会庭から教会に歩いて来るだけで、全身びしょ濡れになってしまうような状況でした。そんな大変な状況の中、礼拝に来られた様子に「大変でしたね」と声をかけたところ、K姉はこんなふうにおっしゃっていました。
「先生、私、この一週間、腱鞘炎が酷くで横になっていたんです。手が痛くて、痛くて、大変だったけど、ようやく動くようになったんです。」
私はそれを聞き、ますます「本当に大変な中、今日はよく教会に来てくださいましたね」と言いました。すると、K姉は言いました。
「だけどね、先生、イエス様は私たちのためにどれほどの痛みや犠牲を通られたのか。そのイエス様が待っておられると思って、教会に来ました。」
その言葉を聞き、私はハッとさせられました。そして、K姉がこの大変な状況の中にあって、そんなふうにイエス様を見上げておられる姿に大切なことを教えられる思いがしました。本日の箇所には、次のように記されています。「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり」
本日の御言葉を読みながら、K姉のことを思い浮かべました。日々の歩みの中、色々あったりする時に、何よりイエス様を見上げていこうとされているK姉の姿に、きっと、そのような歩みの中で、私たちは、知る力、見抜く力を身につけ、愛が豊かにされていくのではないかと思いました。いずれにしても、Kさんたちが、こんな思いでこれまで、壱岐教会を支えてこられたんだなと思いました。
福岡地方連合では現在、支援チームを立ち上げ、壱岐教会との協力伝道を模索しています。支援チームの働きのため、壱岐教会のため、お祈りください。
鈴木牧人