「イエス様を迎え入れる人々」

ヨハネによる福音書6:15-21

本日の箇所は、五千人の供食の出来事の続きです。イエス様は男性だけで五千人はいた群衆を、五つのパンと二匹の魚だけで満腹させるという奇蹟をなさいました。すると、その様子を見た人々は、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言い始め、イエス様を自分の王としようとしたのです。しかし、イエス様はこのことを知ると、人々を避けて、お一人山に登られていかれました。結果、弟子たちはイエス様不在のまま、湖に漕ぎ出さなければならなくなりました。そうして湖に出て行ったところ、強い風が吹き始め、湖が荒れ始めます。弟子たちが舟の上で嵐に悩んでいると、遠くのほうからイエス様が弟子たちの舟に近づいてこられました。しかし、弟子たちはイエス様を見て、恐れ、すぐに迎え入れることはできませんでした。そんな弟子たちにイエス様は「わたしだ。恐れることはない」と言われ、イエス様を迎え入れました。すると、間もなくして、舟は目指す目的地に着くことができたのです。ここには、イエス様を迎え入れようとしたもう一組の人々の姿が記されています。
本日の箇所には、二組の「イエス様を迎え入れようとした人々」の姿が記されています。その様子は対照的です。最初の人々は喜んでイエス様を迎え入れようとしました。これに対して、嵐の中の弟子たちは、最初、イエス様を恐れ、警戒し、すぐに迎え入れることができませんでした。普通であれば、喜んで迎えるほうを受け入れ、イエス様に対して警戒するほうに対して「何しているんだ」と言いたくなってしまいたくなるのではないでしょうか。しかし、不思議なことに、イエス様は、御自分を喜んで迎え入れようとしているように見える群衆たちに対して距離を置かれ、山に退かれます。これに対して、弟子たちはイエス様のことを警戒し、すぐには迎え入れようとしなかったにも関わらず、彼らに対し、「恐れないでいい」と優しく声をかけ、近づいてくださったのです。なぜでしょうか。
色々なことが言えるのかも知れません。しかし、まず思うことがあります。イエス様を王様に迎え入れようとしていた群衆は、本当にイエス様を迎え入れようとしていたのでしょうか。6:15で人々がイエス様を王様にしようとしていったのは、明らかに五つのパンと二匹の魚で五千人の群衆のお腹をいっぱいにさせた奇蹟を目の当たりにしたからでした。人々はこの時「イエス様がおられれば、自分たちはもう空腹で悩んだりすることはない」と考えたのだと思います。そんな人々というのは、イエス様を求めていたというよりも、イエス様がなさる御業を求めていたのではないでしょうか。
これに対し、弟子たちは最初からイエス様を迎え入れることができませんでした。恐れのゆえに、イエス様に対して壁を作ったりもしたのです。ですが、そのような色々な思いを通らされながらも、イエス様を迎えていきます。そして、その中で、彼らは本当の意味でイエス様を迎え入れるということを学んでいったのです。イエス様というお方が、この嵐のただ中にあって、主であること、本当に恐れるべき方であることを知らされていったのでした。

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