「平和を実現する人」
マタイによる福音書5章9節
「平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。」
この御言葉は、イエス様が人々に教えられた「八つの幸い」の御言葉の一つです。私たちにとって、平和を実現する生き方こそ、本当の幸いな生き方なんだということを教えられたのでした。先日、この御言葉について、改めて教えられたことがありました。ミャンマーを覚えるアトゥトゥミャンマーの祈り会があったのですが、祈り会の中で、西南学院大学の須藤先生がこのようなお話をされました。
「イエス様がここで言われている『平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる』との言葉は、当時の人々には、一つのイメージと結びついていた。それはローマ皇帝である。『平和を実現する人』とは、当時、ローマ皇帝を指す言葉だった。パクス・ロマーナ、ローマによる平和ということが言われる中、ローマ皇帝こそが平和を実現する者と言われていた。また、また『神の子』という称号も、ローマ皇帝を表す言葉だった。そのような言葉を、イエス様はあえてこの場所で語られ、『平和を実現する人』を単数形ではなく、複数で語られたのである。人々はきっと驚いたに違いない。ここで、イエス様は、本当の意味での平和を実現というのは、ローマ皇帝が圧倒的な武力でもって、相手を制圧し、争いを一時的に終結させるような仕方で実現していくようなものではなく、ガリラヤの片田舎に暮らしていて、何の力も持っていないようなあなたたち一人一人が、生かされているその場所、その場所で草の根の働きのような形で成していく業なんだということをおっしゃったのだと思う。」
須藤先生は、そのような話をされながら、「私にとって、アトゥトゥの祈り会はまさにそのような場所だと思う」とおっしゃっていました。
私たちの教会では、現在、アトゥトゥミャンマー福岡の働きに関わっています。ミャンマーディナーナイトの交わりを中心としながら、ミャンマーの方々との関わりを持っています。草の根のような働きであり、私たちがしていることの限界を痛感させられることもしばしばです。ですが、須藤先生のお話に、「平和を実現するとは、こういうことなんだ」と励まされた思いがしました。
私たちは、この時代、平和を実現する者、平和を建てあげる者として遣わされています。ですが、一方で、私たちの現実を見る時、自分たちの限界や無力さを痛感することもあるかも知れません。しかし、改めて、本日のマタイによる福音書の御言葉に励まされていきたいと思います。私たちにできることは限りがあるかも知れません。しかしながら、私たちは決して無力ではありませんし、私たちがしていることは無意味なことでもありません。私たち一人一人がそれぞれ遣わされている場所で、それぞれ平和の実現のために仕えていこうとしていく時、そこから本当の平和はなっていくのです。そして、そのような歩みこそ、「幸い」なんだということを御言葉を通して心に刻み、励まされていきたいと思います。