本日のローズンゲンの御言葉です。

「あなたは死からわたしの魂を救い/突き落とされようとしたわたしの足を救い/命の光の中に /神の御前を歩かせてくださいます。」詩編56:14

「そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。」マルコ5:41-42

昨日、私たちの教会では、平和祈念礼拝が行なわれました。青年たちがこれまで本を読みあいながら、考えてきた平和への思いをそれぞれ言葉に表してくれました。始めて教会に来られたという方が、「若い人たちがこんなにも教会に集っている様子に驚きました」と感想をおっしゃってくださいました。青年たちが率先して平和について学びあい、その思いを言葉にしてくれている姿は、私たち一人一人にとっての刺激や励まし、学びになったのではないかと思います。本日の箇所には、次のように記されています。

「あなたは死からわたしの魂を救い/突き落とされようとしたわたしの足を救い/命の光の中に/神の御前を歩かせてくださいます。」

本日の箇所を読みながら、改めて、昨日、みんなと一緒に考えた平和について考えさせられました。何というのでしょう。私たちの周りの世界は、平和とはかけ離れて思える世界があちこちに広がっています。そんな中、平和を語っても、時にそれが絵空事のようにさえ思えてしまうことがあるかも知れません。しかし、そんな私たちが主にあって、取り扱われていく時、そんな私たちが主にある平和へと導かれていくことがあるのです。先日も、そのような主の取り扱いにより、私たちの思いをはるかに超えた形で、お互いの関係が守られ、整えられるという経験を通らされました。改めて、私たちを平和に生かしてくださるのは、主であり、まずその主を私たちの交わりの真ん中に迎えていくことから平和は築かれていくのだということを思わされました。本日の御言葉には、「あなたは〜命の光の中に、神の御前を歩かせてくださいます」とあります。この御言葉を読みながら、思い出す御言葉があります。

「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ8:12)

この御言葉は、イエス様が姦淫の罪を犯した女に語った言葉です。私たちは自分たちだけ歩もうとする時、すぐに暗闇に迷いこんでしまいそうになるのではないでしょうか。本日の御言葉でも、詩人は死の方向に突き落とされてしまいそうになっていますが、そのように私たちがいつの間にか、自分の歩みがおかしな方向に向かってしまうことがあるのだと思うのです。そんな私たちが命の光に生かされていくのは、何より、主にしっかりと結ばれていくことです。その時、私たちは取り扱われ、時に立ち帰らされ、私たちが立つべきところに立ち、命の光の歩みに、主にあるシャロームの歩みに向かって歩んでいくことができるのだと思うのです。

鈴木牧人

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