「あなたを信じることができるように」
ヨハネによる福音書6:28-40
ヨハネ6章の冒頭には「5000人の供食」の出来事が記されています。イエス様は、男性だけで5000人はいた群衆を五つのパンと二匹の魚だけでお腹いっぱいにしてくださいました。人々はこの出来事に驚きました。そして、「イエス様がいてくださったら、もう自分たちは食べ物のことで心配したり、苦労することはない」と考え、イエス様を自分たちの王様にしようとしたのです。しかし、イエス様はそれを拒みました。イエス様が願っていたのは、人々をパンでお腹いっぱいにさせることだけではなかったからです。イエス様が願っていたのは、この御業を通して、人々がイエス様のことを信じるようになることでした。イエス様は、人々から「何をしたらよいでしょうか」(6:28)と問いかけられた時、「神がお遣わしになった者を信じること」を語られました。神がお遣わしになった者、すなわち、イエス様を信じるようになることを何より求められたのです。しかし、人々の思いはイエス様の願いとは別の方向を向いていました。人々は「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。」(6:30)と訴えたのでした。そして、語ったのは、旧約聖書に記されているマンナのことでした。「もし、あなたが神から遣わされたのなら、同じように天からのパンを与えてください」と訴えたのです。そんな彼らに対しすると、イエス様は、あの旧約聖書のマンナより、もっと素晴らしい「天からのまことのパン」(6:32)を父なる神様は与えてくださるんだとお話になりました。この神のパンは、この世に命を与えるものなんだとおっしゃったのです。人々はこのイエス様の言葉に、「それなら、そのパンをください」と願います。それに対して、イエス様「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」(6:35)と言われたのでした。マンナよりも素晴らしい「天からのまことのパン」こそ、イエス・キリスト御自身でした。本日の箇所で、イエス様が何より、人々に伝えたかったのは、人々がイエス様を信じることでした。イエス様御自身こそ、「天からのまことのパン」であり、イエス様を信じることこそ、五つのパンや二匹を食べること、荒れ野でマンナを食べることにまさる祝福があり、私たちを本当の意味で満たし、生かし、私たちに命を与えてくださるのです。
イエス様は、何より人々にこのことを知ってもらいたいと願っておられました。しかし、人々はイエス様の言葉を受け入れようとしませんでした。イエス様の一連のメッセージを聞いた人々は、イエス様が言われることが理解できず、ついていけないと言って、イエス様から離れていってしまうのです。本当に残念だなと思います。本日のイエス様と人々とのやり取りというのは、イエス様とヨハネ4章に記されているシカルの町のサマリア人の女性のやり取りと流れがよく似ています。ですが、それぞれの対応は全く違っていました。サマリア人の女性とのやり取りで、彼女はイエス様を信じていきました。これに対して、本日の箇所では、人々はイエス様を信じようとはせず、イエス様から離れていってしまったのです。