本日のローズンゲンの御言葉です。
「その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、『何事でも願うがよい。あなたに与えよう』と言われた。〜『どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。』」(列王記上3:5,9)
「更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、『もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう』と言った。すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」(マタイ4:8-10)
本日の箇所には、次のように記されています。
「その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、『何事でも願うがよい。あなたに与えよう』と言われた。〜『どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」
イスラエルの王ソロモンが王に即位したばかりの頃、主がソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われました。その時、ソロモンが願ったのが、「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください」との願いでした。良いものと悪いものとを判断することのできる心…。本当に聞かなければならない声をきちんと聞き取っていくことができる心…。私たちにとっても大切なテーマなのではないかと思います。私たちは、日々様々な事柄の向き合わされながら、悩み、考え、何が正しいか分からなくなってしまったりすることがあります。また慌しさの中、本当に聞かなければならない声というものを聞き漏らしたり、なおざりにしてしまっていることがあります。そんな中で、ソロモンが神様に求めた心は私たちにも必要なのではないでしょうか。
このソロモンの願いについて考える時、いつも思い出すのが「ニーバーの祈り」です。『神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。 そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ』。今の時代というのは、本当に目まぐるしく価値観が変わっている時代です。ともすると周りの状況に流されてしまいそうになります。その中で、良いものと悪いものとを判断することできる心、本当に聞かなければならない声をきちんと聞き取っていくことができる心を持ることができる時、私たちは変わるべきもの、変えられないものをそれぞれきちんと受け止め、それらを識別する知恵というものが与えられていくのではないかと思います。
ただ、ここで、ソロモンがそれを神に祈り求めた姿を覚えていたいと思います。『何が善いことで、何が悪いことなのかを判断する心』を自分の中に求めようとする時、それは創世記3章のアダムとイブの姿のようになります。アダムとイブは『善悪の知識の木の実』を食べ、自分の力で善悪を判断し、神様のようになろうとしました。結果、神様の戒めを無視し、『食べてはならない』と言われていた木の実に手を出し、取り返しのつかない罪を犯すことになったのです。この時代にあって、何が善いことで、何が悪いことなのかを判断し、聞き分けていくためにも、何よりも神に祈り求めること、御言葉に聞き続けることが大事なのです。
鈴木