本日のローズンゲンの御言葉です。
「わたしの胸が思い煩いに占められたとき/あなたの慰めが/わたしの魂の楽しみとなりました。」詩編94:19
「『父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。』すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。」ルカ22:42-43
本日の箇所には、次のように記されています。
「『父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。』すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。」
この御言葉は、ゲッセマネの園の一節です。この時、ルカによる福音書には、イエス様のことを天使が力づけたことを記しています。私は神学生時代、この聖書の場面を絵に描きました。イエス様が祈りながら、倒れ込むようにしている様子を、御使いが支えている場面です。当時、私が研修をしていた教会の教会員の方が闘病をしており、その方のために描いた絵でした。
その後、私は福島の郡山に牧師として赴任しました。ある時、青森のハンセン病施設を訪問しました。そこで一人のハンセン病の元患者の方との出会いが与えられました。私はその方から本当にお世話になったのですが、お世話になりっぱなしのまま、福島に帰ってきました。その後、何もできないですが、せめてもの感謝の思いから、皆で撮った集合写真を送ることにしました。その時、以前描いたゲッセマネの園の絵の絵葉書にコメントを書いて送ったのです。
それから、10年以上の月日が経ちました。私は姪浜教会にやって来ました。ある日、電話がありました。電話の相手は、知らない方でした。しかし、お話をよく聞いたところ、そのハンセン病施設でお世話になった方のお友だちであることが分かりました。電話の内容はこうでした。そのお友だちは、以前から何か大変なことがあると、私がお世話になったハンセン病元患者の方に相談に乗ってもらっていたそうです。その時に、私が送った絵葉書が目に留まったそうです。絵葉書が気にいったそのお友だちは、「絵葉書がほしい」と言って、その絵葉書をもらったのでした。その後、家に飾っていたそうです。イエス様が御使いに抱かれる姿に励まされたということでした。
そんなある時、今度はその方が友人の相談に乗る立場になりました。その方が友人を励ましてあげたいと思った時に思いついたのが、絵葉書でした。でも、絵葉書を渡してしまうと、自分のものが無くなってしまうので、ネットで検索し、私が姪浜教会にいることを探しあてて、電話をしてくださったのでした。絵葉書をほしいとのことでした。私はその話を聞いてすぐに絵葉書を送らせていただきました。私たちの思いをはるかに超えて働く神様の御業を感じる出来事でした。
聖書には、イエス・キリストは「わたしたちの弱さに同情できない方ではない」(ヘブライ4:15)と書かれています。ゲッセマネの園ではイエス様は御使いの支えなくては立てないほどでした。イエス様でさえそうであるなら、私たちはなおさら、弱い時、立てない時、そのことをありのままに打ち明け、主によりすがることがゆるされているのです。そんな私たちを主は支えてくださるのです。私たちの大切な信仰のあり方として、そのことを覚えていたいと思います。
鈴木牧人