本日のローズンゲンの御言葉です。
「大地が草の芽を萌えいでさせ/園が蒔かれた種を芽生えさせるように/主なる神はすべての民の前で/恵みと栄誉を芽生えさせてくださる。」イザヤ61:11
「そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」」(ルカ13:18-19)
本日の箇所には、次のように記されています。
「そこで、イエスは言われた。『神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。』」
イエス様は、本日の箇所で、神の国をからし種にたとえてお話になりました。からし種は、本当に小さい種です。当時のユダヤの人々は小さいものをたとえる時、しばしば「からし種のようだ」と語ったそうです。しかし、ほんの小さな種が、土に植えられ、成長すると、全く違ってきます。小さな種だったからし種は、木のようになり、枝がはり、そこに空の鳥が巣を作るようになるのです。こんな小さな種が、鳥が巣を作るほどの大きさになるのです。本当に凄いなと思わされます。そして、それが神の国において、もたらされる業なんだと語られているのです。
私が福島の郡山に牧師として赴任したばかりの頃、教会には青年が2人しかいませんでした。そんな中、この教会に、青年たちが与えられるようになってほしいと祈っていました。ある時、私が近くのカインズホームに行ったところ、ふと目に留まった木がありました。そこには「青年の木」という札が掲げられていました。私はその木の名前に妙に心惹かれて、木を購入しました。「まずこの木を育てることから始めてみよう」と思ったのです。私はそれまで何か植物を育てると必ず枯らしてしまうので、この木もどうなってしまうか分からなかったのですが、とにかくこの木だけは枯らさないようにと思ってきました。この木に水をかけながら、青年への祈りを重ねてきました。すると、実際に、そこから青年が与えられていきました。その木を見る度に、あの日、青年たちが教会に与えられるようにと祈っていた時のことを思い出していました。そんな経験からも思います。教会というのは、最初は小さなものであっても、そこから大きくされていくような豊かさや期待、わくわくするもので詰まっている…。そういうことが起こる場所なんだと思うのです。そういう命の出来事が起されていく場なのです。
ですから、今だけで判断してはなりません。私たちが今、それぞれ目の前のしているものの中に、神の業の可能性を見ること、神の取り扱いの豊かさを見ていくこと、その信仰を大切にしていきたいと思うのです。
鈴木牧人