本日のローズンゲンの御言葉です。

「わたしはこの民をわたしのために造った。彼らはわたしの栄誉を語らねばならない。」イザヤ43:21

「キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです。」ヘブライ3:6

現在、私は九州バプテスト神学校で『牧会学』の講義を受け持っています。先日、その講義の中で、こんなやりとりがありました。一人の学生さんがこんな質問をしてこられました。

「自分が牧師となった場合のこととして質問したいことがあります。たとえば、結婚する二人に関わることになり、その内の一人が教会員で、相手の方が教会に来たことがない人であった場合、どんなふうにアドバイスをすればいいですか。」

難しい質問だなと思いました。そんな中、私になりに思ったこととして、こんなふうに答えました。

「難しいですね。もちろん、結婚のプロセスの中で、相手の方がイエス様に出会い、信仰が与えられることを願いますが、信仰はその人その人の事柄ですから、私たちが無理に介入したり、相手に強いることはできないのだと思います。そのような中、信仰を続けることは簡単ではないことも色々な場面であり得るかも知れません。何より、お二人のことを祈りたいと思います。そんな中、このことを大事なアドバイスとして伝えることができたらと思います。それは、教会員である、その人に対して、「ぜひ相手の方に『私はイエス・キリストへの信仰があるから、あなたを誠実に愛することができるんだ』ということをきちんと伝えてほしい」というアドバイスです。「自分に信仰が与えられていること、教会に繋がっていること、それを大事にしていること、それはつまり、『あなたを愛するため』であり、『祈るため』であり、『誠実に向き合うため』なんだ」ということを相手の方に伝えてほしいと思うのです。そのことがきちんと伝わるなら、少なくても、相手の方は、教会員である、その人の信仰に対して少なからず理解を示してくれるんじゃないかと思います。」

そのような話をしました。おそらく色々なケースがあり、その状況によってアドバイスも変わるのだと思いますが、このことに関しては、ぜひ教会員であるその人には確信としてしっかり持ってもらえたらと思いますし、そのことを相手の方にも伝えてもらえたらと思います。本日の箇所には、次のように記されています。

「キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです。」

本日の箇所を読みながら、「確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるなら」という言葉が心に迫ってきました。そんな中、先日の九州バプテスト神学校でのやり取りを思い出しました。私たちは「確信と希望に満ちた誇り」を持ちたいと思います。私たちに与えられた、この信仰によって、私たちは、目の前のその人に誠実に向き合い、その人を愛することができるのだということを「確信」として、「希望に満ちた誇り」して持ち続けていきたいと思うのです。その時、私たちは自分たちがどこに立つべきかがクリアになり、私たちの一歩一歩の歩みは整えられていくのだと思うのです。

鈴木牧人

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Translate »