本日のローズンゲンの御言葉です。
「更にこう言った。『では、早速出かけて、兄さんたちが元気にやっているか、羊の群れも無事か見届けて、様子を知らせてくれないか。』父はヨセフをヘブロンの谷から送り出した。ヨセフがシケムに着き」創37:14
「互いに愛と善行に励むように心がけ、」ヘブ10:24
本日の箇所には、次のように記されています。
「更にこう言った。『では、早速出かけて、兄さんたちが元気にやっているか、羊の群れも無事か見届けて、様子を知らせてくれないか。』父はヨセフをヘブロンの谷から送り出した。ヨセフがシケムに着き、」
この箇所は、ヨセフが父ヤコブに遣わされ、ヨセフの兄弟たちを探しに出かけていった箇所です。ヤコブはお兄さんを探すため、ヨセフをシケムに送り出しました。しかし、シケムに来てもお兄さんたちの姿が見つかりません。お兄さんたちはすでに別の場所に移動していたのです。ヨセフがあちこちさまよっていると、一人の人が「何を探しているのかね。」(創世記37:15)と声をかけてきました。そして、お兄さんたちがドタンに向かったことを伝えてくれたのです。ヨセフは早速、ドタンに向かい、ようやくお兄さんたちを見つけることができたのでした。ヨセフはこの間、どんなに苦労をしたんだろうかと思います。しかし、そんなふうに苦労したにも関わらず、ヨセフがその後、お兄さんたちからは本当にひどい目に遭わされ、エジプトに奴隷として売られてしまうのです。そんなヨセフのことを思う時、「ヨセフはお兄さんたちのことなんか探しに来なければよかったのに」と思ってしまいます。実際、ヨセフはどうしても兄たちのところに行かなければいけなかったわけではありませんでした。父ヤコブは、兄たちが元気にやっているか、兄たちの飼っている羊たちも問題ないか、その安否を知るために、ヨセフを遣わしたのです。
ただ、そんなことを思い巡らせていく中で、ふと考えさせられることがありました。それは「クリスマスの出来事というのも、ある意味、これと同じことなんじゃないだろうか」ということでした。クリスマスにおいて、イエス様は、人として、私たちのもとに、お生まれになりました。そこには私たちの想像をはるかに超えた苦労がありました。しかし、そうまでして私たちのところに来てくださったイエス様を私たちは拒み、十字架につけてしまったのです。その様子を思う時、「イエス様、そんなことしなければよかったのに」と思うのではないでしょうか。しかし、そうまでしてでも、イエス様は私たちのもとに来てくださいました。私たちを救い出すために、神様はそれでもイエス様をお遣わしになられたのです。それほどに神様は私たちを愛してくださっていたのです。私たちのことを放ってはおけないと思われていたのです。それがクリスマスの出来事でした。本日の箇所を読みながら、改めて、そのような神様の愛と恵みに思いを巡らせました。改めて、クリスマスの出来事は決して、当たり前のことではないということを心に刻んでいきたいと思います。
鈴木牧人