「その星を見て喜びにあふれた」
マタイによる福音書2章9-12節
甲本ヒロトさんが、ある番組で、こんなことをおっしゃっていました。
「おんなじ世界にいるから、おんなじものを見てるはずだし、おんなじものを聞いている。でもおもしろいもんで、同じ場所にいて同じ方向を向いているからって同じものが見えているとは限らない。同じものを見てるようでピントが合う場所が違う」。
本日、ご一緒に考えていきたいことは、このことです。本日の箇所は、東の国からやって来た占星術の学者たちの記述です。彼らは、この時代にあって、他の人たちとは違うものにピントを合わせた人たちだったということが言えるのだと思います。他の人たちの多くが、夜空を見上げ、「真っ暗闇だ」としか思わなかったような世界の中に、この人たちは一つの星を見つけ、その星にピントを合わせました。そして、「この暗闇の世界の中に、確かに神様は働いてくださっている。救いのしるしをあらわしてくださった」と信じました。そして、自らの生活を置いてまでして、旅をして来たのです。
以前、ある人から、こんな質問をされたことがあります。「聖書には心惹かれるんですが、どこかひっかかるところがあります。この現実を見ながら、身の回りの様々な出来事、世界で起こっている出来事を見せられる度、何でこんなことが起こるの?神様何でこんなことを許されるの?本当に神様っておられるの?と思ってしまうんです」。その質問に対し「神様には、私たちの考えも及ばないようなご計画や御旨というものがあるのだと思います。ですから、私は神様がなぜ、こんな世界を造られたのかということについては答えることができません」と話しました。ただそれに加えて、こんな話をしました。「このことは、質問の答えにはならないかも知れませんが、私たちの目の前の世界が、どんなに理不尽で矛盾だらけの世界に見えたとしても、それでも神様はおられるのだということです。この世界に神様は今も生きて働いてくださっているのだと思います。そして、この世界に救いの御業をなし続けてくださっているのだと思います。まさに最初のクリスマスこそ、そのような出来事だったのだと思います。最初のクリスマスの出来事が起こった2000年前のユダヤの国というのは、まさに理不尽なことばかりでした。しかし、そんな世界の中にあって、神様が救いの御業をなされたのがクリスマスの出来事でした。占星術の学者たちは、夜空に、神さまの救いのしるしを見つけました。その星を頼りに、神の救いの御業を目撃するために旅に出かけていったのでした。私たちは占星術の学者たちのようなまなざしをもつことができたらと思います。この世界の中で、『神さまはどこにおられるのだろうか』『どこに救いの業をなされるのだろうか』という眼差しをもてたらと思うのです。」20年前のやり取りですが、今の時代を思う時、なおさら、そういう眼差しが必要なのではないかと思ったりします。色々なことを見渡してみますと、心痛めることばかりで、心が闇に沈み込んでしまいそうになることがあります。そんな時代だからこそ、私たちはどこにピントを合わせていくのかが大事なのだと思います。闇に輝く光にピントを合わせていきたいと思うのです。