本日のローズンゲンの御言葉です。

「人は恐怖の罠にかかる。主を信頼する者は高い所に置かれる。」箴言29:25

「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」ルカ12:32

本日の箇所には、次のように記されています。

「人は恐怖の罠にかかる。主を信頼する者は高い所に置かれる。」

この御言葉を読みながら、「人は恐怖の罠にかかる」との言葉が心に留まりました。本当にそうだなと思います。時に色々なことを考えている中で、考えなくてもいいような余計なことをあれこれ考えてしまい、不安や煩いでいっぱいになりそうになってしまうことがあったりします。そんな私たちというのは「恐怖の罠」にかかってしまっているのかも知れないと思いました。ですが、そんな私たちを主は引き揚げ、高い所に置いてくださるんだと思いました。以前、ある方とこんな話をしたことがあります。

「夜になると、色々なことを考えだしてしまうんです。そうすると、これまでの色々なことに後悔の念が湧き上がってきたり、自分を責めたり、周りの人を裁いてしまう思いにさせられたりしてしまいます。そんな中、心が暗闇にズブズブと沈みこんでしまう思いにさせられるんです。」

そんなふうにお話になる方に対して、次のように言いました。

「そういうことってありますよね。そして、それというのは、福音書に記されているペトロの記述と同じかも知れませんね。ペトロは嵐の中で、イエス様に招かれ、湖の上を歩きました。しかし、途中から周りの強い風に気を取られて、怖くなってしまいます。そうしたところ、せっかく湖の上を歩いていたのに、湖の中にズブズブと沈みこんでしまったんです。私たちはきっとそうなんだと思います。イエス様を見上げていたはずなのに、周りのものに気を取られてしまうことがあります。そうすると、自分が立っているところを見失い、ズブズブと沈みこんでしまうことがあるんだと思うのです。ですが、嵐の中、ペトロに手を差し伸べてくださったように、イエス様は私たちにも手を差し伸べてくださっています。そして、湖の中に沈みそうになっている私たちを捕らえ、引き揚げてくださるのです。私たちの信仰の歩みは、そんなことの繰り返しなのかも知れません。心が揺さぶられる時、沈みそうになる時、その都度、イエス様を見上げ、呼び求めていくことができたらと思います。」

本日の御言葉を読みながら、そのやり取りを思い出しました。この一年、色々なことがあるかも知れません。その都度、心揺さぶられたり、心が沈んでしまいそうになることがあるかも知れません。ですが、その都度、イエス様を見上げ続け、呼び求め続けていくことができたらと思います。私たちの周りには時に私たち恐怖に陥れようとするものがあります。しかし、主は信頼する者をそこから引き揚げ、高い所に置いてくださるのです。

鈴木牧人

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Translate »