本日のローズンゲンの御言葉です。
「神よ、わたしの心は確かです。わたしは賛美の歌をうたいます。『わたしの誉れよ』」詩編108:2
「躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。」使徒3:8
以前、ある方から、ルターの言葉として、このような言葉を紹介してもらったことがあります。
「わたしは祈れない時、讃美をします。」
その言葉を最初聞いた時、エッ?と思いました。色々なことがあって祈ることさえできない時というのは、普通、讃美などとてもできないんじゃないかと思ったのです。ですが、この言葉を聞きながら、讃美ということについて改めて、色々なことを考えさせられました。讃美というのは、私たちの心が喜びで湧き上がり、自然と讃美が溢れてくる時もあります。しかしながら、そういう時ばかりでもないのだなと思うのです。不安や悩みやわずらいに心占められる中、どう祈っていいのかさえ分からないような思いにさせられる中、それでも讃美をささげようとしていく…。そのような信仰の決断の中で、ささげられていく讃美もあるんだなと思いました。そして、そのような讃美を通して、私たちの心が定まっていくということもあるのだと思います。
本日の箇所には次のように記されています。
「神よ、わたしの心は確かです。わたしは賛美の歌をうたいます。「わたしの誉れよ」」
この言葉を読みながら、「心の確かさ」と「賛美の歌をうたう」ことが繋がって語られていることに心が留まりました。この詩人は、心が確かにさせられていく中で、賛美の歌をうたっているのでしょうか。あるいは、賛美の歌をうたう中で、心が確かにさせられていっているのでしょうか。いずれにしても、賛美は私たちの心を確かに神様に向けていくんだなということを思いました。日々の歩みの中で、不安や悩み、わずらいごとがわきあがることがあります。そんなことが絶えない私たちの歩みがあるかも知れません。そんな中、その思いを全て主に打ち明け、祈りをささげていくことができたらと思います。しかし、祈ると同時に、心確かにし、主に讃美をうたうことができたらと思います。
鈴木牧人