本日のローズンゲンの御言葉です。

「太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず/月の輝きがあなたを照らすこともない。主があなたのとこしえの光となり/あなたの神があなたの輝きとなられる。」イザヤ60:19

「わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。」ヨハネ12:45-46

昨日、H兄の前夜式が行なわれました。その前夜式の中でシクラメンの話をしました。私が昨年、H兄のご自宅を訪問した際、H兄が座っていたソファーの前にたくさんのシクラメンの鉢植えが置かれていました。何でも昨年買ってきたシクラメンの花から種をとって、その種からシクラメンを一から育てているとのことでした。私はシクラメンの花を種から育てている人がいるなんて聞いたことがなかったので、「そんなことできるんですか」と驚きました。目の前には棚に並べられた小さなプランターがいくつもあり、「まるで、シクラメンを育てる業者さんみたいですね」と話したところ、「そうなんです」と笑っておられました。そんな中、すでにそのプランターには可愛らしい新芽が出ていました。その様子に「何とかここまでは育ちました。ですが、問題は花を咲かせてくれるかなんです」とおっしゃっていました。その時のH兄の愛おしそうにシクラメンのを見つめる眼差しが心に深く残っています。そのような話をさせていただいたところ、H兄の御連れ合いのM姉が「実は、今日、そのシクラメンを持って来ているんです」と話してくださいました。見ると、斎場の受付のところに可愛らしいシクラメンが三株置かれていました。そこには綺麗な花がいくつも咲いていました。

「夫はこの花を直接見れなかったのですが、写真に写して見せていました。」

そんなふうに話してくれました。お話を聞きながら、H兄がその写真を眺めている様子を想像しました。

本日の箇所には、次のように記されていました。

「わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。」

この御言葉を読みながら、「わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように」との言葉が心に留まりました。そして、H兄のことを思い巡らせました。H兄は晩年になってバプテスマを受けました。その際、足がお悪かったので、バプテスト漕に入ることができず、滴礼という形で式をしました。また、中々教会の礼拝に来ることもできませんでした。それでも、オンラインを通して、礼拝に参加してくださいました。そんなH兄のことを思い巡らせながら、主がH兄を捕らえ、暗闇から光へ導いてくださったことを思いました。H兄とのお別れは寂しい限りです。ですが、その主の慰めが本日の葬儀の上にもありますようにと祈ります。

鈴木牧人

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Translate »