本日のローズンゲンの御言葉です。
わたしたちは第一の月の十二日に、エルサレムに向かってアハワ川を出発した。道中待ち伏せる敵の攻撃も、神の御手に守られて、免れることができた。エズラ8:31
アンティオキア、イコニオン、リストラでわたしにふりかかったような迫害と苦難をもいといませんでした。そのような迫害にわたしは耐えました。そして、主がそのすべてからわたしを救い出してくださったのです。Ⅱテモテ3:11
本日の箇所には、次のように記されています。
「わたしたちは第一の月の十二日に、エルサレムに向かってアハワ川を出発した。道中待ち伏せる敵の攻撃も、神の御手に守られて、免れることができた。」
エズラ記6章には、エズラがバビロンにいるイスラエルの民を連れ立って、エルサレムに向かおうとしていった様子が記されています。ここで挙げられた人々の総数は1496名でした。しかし、この人数に加えて、女性だったり、子どもたちもいたと考えられるため、総数としては5000人ほどになったのではないでしょうか。旅に出かけていくにあたって、エズラは、人々に呼びかけ、共に断食をし、旅の無事を願いました。この旅は、本当に危険の伴うものでした。そんな時、エズラたちでしたら、何とかなるところがあったかも知れません。しかし、そこには幼い子どもたちもいました。また、エルサレムにもっていかなければならない大切な持ち物もたくさんあったのです。それらをも守らなければいけませんでした。本当であれば、周りを護衛の軍隊を取り囲み、旅をしたいところでした。しかし、ペルシアの王様に対して、「神様が守ってくださいます」と宣言していたため、今さら王に護衛を頼むなんてできない事情もありました。王はエズラの理解者ではありましたが、同時にエズラたちが証ししてきた神様が本当なのかどうかも見ていたというところもあったのだと思います。そんな中、神様が本当に生きて働いておられることを証しするために、譲れないこともあったのだと思います。いずれにしても、エズラたちの状況を思えば思うほど、「本当に大変だったな」と思います。同時に、そんなことを思うほど、エズラは「自分たちでこの問題を抱え込むことはできない」という思いにさせられたのではないでしょうか。神様御自身がこの事柄、問題を取り扱ってくださらなければ、神様自身が自分たちに先立ち、一つ一つのことを取り扱ってくださらなければどうにもならないという思いにさせられたのではないでしょうか。そんな思いを通らされる中で、本日の御言葉のように書かれているのです。色々な思いを通らされてきたからこそ、「これまでの歩みの全てが神様の御手に守られてきた」ことを痛感させられたのではないでしょうか。
昨日の礼拝に、久しぶりにH姉が娘さんと一緒に来てくださいました。M兄の葬儀の後、体調を崩されていたようですが、回復したので、礼拝に来てくださったのです。葬儀の色々なことを振り返りながら、改めて、この間の全てが神様の御手に守られてきたことを分かちあい、一緒にお祈りしました。H姉は「皆さんの祈りに覚えられているということを思う時、そのことで励まされます」とおっしゃってくださいました。改めて、私たちの歩みにも色々なことがありますが、そんな私たちの歩みの真ん中には、何より、神様がおられ、全てが神様の御手の守りの中にあるのだと思いました。その神様を見上げながら、共に祈りあい、歩んでいきたいと思います。
鈴木牧人