本日のローズンゲンの御言葉です。
「身分の低い者から高い者に至るまで/皆、利をむさぼり/預言者から祭司に至るまで皆、欺く。彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して/平和がないのに、『平和、平和』と言う。」エレミヤ6:13-14
「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、」ローマ12:9
本日の箇所には次のように記されています。
「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず」
本日の箇所を読みながら、「悪を憎み、善から離れず」との言葉が心に留まりました。この御言葉を読みながら、改めて、「愛」とは「選び取り」なんだなと思いました。色々なことがある中で、「愛」を基準としながら、何かを選び取っていこうとしていく…。そのようなことがあるのだと思います。
迷ったり、悩んだりの私たちの歩みがあります。しかし、その中で私たちは「愛」を基準としながら、一つ一つを選び取っていくことができたらと思います。
ある人が、「神様の御心を選び取りたいと思うんだけど、神様の御心って何?と考えると分からなくなる」とおっしゃっていました。確かに「そうだよね」ということを話し合ったのですが、その中でこんな話になりました。
「私たちには神様の御心は分からないかも知れない。だから、最終的には全てを委ね、『御心がなりますように』と祈ることしかできないかも知れない。しかし、一つの物差しとして覚えていたいことがある。それは、『十字架の関係』の物差しだ。私たちがイエス様に繋がる『縦の関係』、そして、私たちがお互いに繋がっていく『横の関係』、この縦横の『十字架の関係』こそ、私たちが神様の御心を求める物差しになるのだと思う。私たちがどれだけ「それが正しい」と思いこんでいても、その向かっていく方向がこの十字架の関係を建てあげていく方向と逆を向いているなら、もう一度立ち止まって、考えたほうがいいかも知れない。それはどこか、おかしな方向に向かっているところがあるのではないかと思う。」
「愛」を基準としながら、一つ一つを選び取っていく…。そのことを考えながら、ふとその時のやり取りを思い出しました。
鈴木牧人