本日のローズンゲンの御言葉です。
虐げられている人のために裁きをし/飢えている人にパンをお与えになる。主は捕われ人を解き放ち 詩編146:7
種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。Ⅱコリント9:10
先日の子羊会キャンプで、「聖書を読む」ということについてお話をしました。「聖書を読む」ということについて、「聖書はね、読むものじゃないよ。食べるものなんだよ」とお話しました。これは私自身、ある牧師から教えられてきた言葉です。それまで、私は聖書を読むことが苦手でした。「聖書を読まないといけない」と言われると、さらにそういう苦手意識が強くなってしまっていました。そんな中、聖書は読むものではなく、食べるものだと言われ、食べるのが好きな私は聖書に対するハードルがグッと下がった思いがしました。その牧師は、次のように教えてくれました。「聖書はね。私たちにとって、心の食べ物なんだよ。心にたくさんの栄養を与えてくれるんだ。だから、聖書で読んで勉強しようと思うより、心にたくさんの栄養を蓄えるために、聖書を食べようとしなさい。」さらにこんなふうにもおっしゃってくださいました。「食べ物って、美味しいと思いながら、味わって食べることもあると思う。けれど、忙しい朝に味わう時間もない中、とにかく口の中にかけこむように食べることだってある。聖書もそういうふうに食べていいんだと思う。聖書の言葉一つ一つを味わって食べる時も素晴らしいと思う。でも、そういうふうにできない時に、とにかく聖書を心にかけこむように食べるということもあっていいと思う。それでも聖書に食べ続けること、食べることを止めないことが大事なんだよ。忙しいからと言って、食べ物を食べないと、みんな病気になってしまう。聖書も同じで、忙しいからと言って、聖書を食べるのを止めてしまうと、いつの間にか、心が病んでしまうこともある。どんな状況であれ、聖書を食べ続けることが大事なんだ。」その言葉を受けて、少なくても、一日、一回聖書の御言葉にふれることが大事だと教えられました。本日の箇所には次のように記されています。
「種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。」
この御言葉を読みながら、「パンを糧にしてお与えになる方」という言葉が心に留まりました。そして、改めて「聖書を食べる」ということを思いました。パンを日々の糧にしてお与えになるお方は、私たちに日々心の糧として御言葉を語りかけてくださっています。その御言葉に養われ、歩んでいきたいと思います。昨日、2024年度最後の御言葉メールを送りました。その後、多くの方が一年間の御言葉メールの感想を送ってくださったのですが、その中にこんなことが書かれていました。
「今年度もお忙しい毎日み言葉メールを届けてくださって、ありがとうございました。仕事に疲れた帰りの電車の中だったり、家事が一段落して一息つく夜だったり、励まされ、癒やされ、時には考えさせられ、祈りつつ、読ませていただきました。」
毎日、様々なことがある中で、御言葉の前に静まり、その御言葉に励まされたり、癒されたり、時に立ち止まり、考えさせられたり…。この一年もそんなふうに御言葉に養われていくことができたらと思いました。
鈴木牧人