「わたしは父を重んじているのに」
ヨハネによる福音書8:48-59
本日の箇所で、ユダヤ人たちは、イエス様に対して「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれていると、我々が言うのも当然ではないか」(ヨハネ8:48)と語りました。なぜこんなことを言い出しているのでしょうか。ヨハネ8:31-32を読みますと、そこには「イエス様のことを信じたユダヤ人たち」がいたことが記されています。彼らは、これまでイエス様からの色々なメッセージを聞いて、イエス様のことを信じようとしていたのです。そんな彼らに対して、イエス様は様々なメッセージをお話になります。ですが、彼らはイエス様のおっしゃることが理解できませんでした。イエス様が「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(8:31-32)とおっしゃったことに対しても「私たちはもともと自由です。誰かの奴隷になったことなどありません」と言って反論しました。これに対し、イエス様は「あなたたちは何より罪の奴隷なんだ」と言われます。ですが、そのことも理解できません。さらに、イエス様は、「自分たちの父はアブラハムです」と主張する人々に対して、「本当にアブラハムの子なら、それなら、アブラハムと同じ業をするはずだ。あなたたちの父は悪魔だ」と言われます。それまで自分たちは自由な民で、しかも、アブラハムの子だという誇りを持っていたのに、イエス様からあなたたちは罪の奴隷なんだと言われ、あなたたちの父は悪魔だとまで言われ、ショックを受けてしまいます。イエス様の言葉は、彼らからしてみれば、とうてい受け入れられないものでした。イエス様のことを信じようと思っていたにも関わらず、彼らの中には、イエス様が分からないという思いになってしまったのではないかと思うのです。そんなやり取りを横で聞いていた者たちが口を挟んできたのが、8:48の記述でした。8:48で登場するユダヤ人たちは、イエス様に対して、もともと快く思っていませんでした。そんな彼らはイエス様と人々とのやり取りを聞き、「ほうら、やっぱり」という形で口を挟んできたのです。そして、イエス様に対して「あなたの言うことはおかしい。だから、俺たちはあなたのことをサマリア人で、悪霊に取りつかれていると言っているんだ」と言い出したのです。この言葉に、人々は心揺さぶられたのではないでしょうか。
そんな人々と、イエス様のやり取りを思いながら、私たちも時に、彼らのようにイエス様を信じていたはずなのに、イエス様のことが分からなくなったり、イエス様の言葉が受け入れられなかったりすることがあるかも知れないと思いました。そんな時、周りから色々な声が聞こえてきたりすると、心揺さぶられたりすることがあるんじゃないかと思います。そんなことを思いながら、改めて、ヨハネ8:31-32の御言葉に立ち戻っていきたいと思いました。信仰のことで悩んだり、イエス様のことが分からなくなってしまいそうになる時、それでもイエス様のもとには真理があるということを信じていきたいと思います。そして、私たちがその真理に生かされていく時、私たちは自由にされていくのだということを信じていきたいと思います。そのためにも、何より、イエス様の御言葉に留まっていきたいと思うのです。