本日のローズンゲンの御言葉です。
「ヒゼキヤはこの手紙を使者の手から受け取って読むと、主の神殿に上って行った。ヒゼキヤはそれを主の前に広げ、」列王記下19:14
「この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。」ルカ9:28
イースターおめでとうございます。イエス・キリストは、私たちの救い主、贖い主となってくださるために、私たちのもとに来てくださいました。そして、十字架に至り、墓に葬られた後、復活されたのです。今日の教会学校の聖書箇所は、マタイ28:1-10です。ここに次のような言葉があります。
「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。」(マタイ28:8-9)
復活されたイエス様が、マグダラのマリア、イエス様のお母さんのマリアに対して、最初に言われたのは、「おはよう」という言葉でした。ここで「おはよう」と訳された言葉は、ギリシア語の「カイロー」という言葉です。この言葉は、もともと「喜ぶ」という意味があります。イエス様はここで婦人たちに対し、「喜びましょう」と呼びかけているのです。本日、教会学校を始めるにあたり、このことを分かちあいました。「本日の聖書の箇所で、復活されたイエス様が最初に声をかけたのは、『おはよう』でした。ぜひ、互いに『おはよう』と言いあうことから始められたらと思います。その中で、この時、イエス様が婦人たちに語った『おはよう』とはどんな言い方か試してみたらどうだろうかと思います。いずれにしても、今日一日、イエス様が復活されたことを噛みしめながら、そのことを心から噛みしめる一日になれたらと思います。」本日の箇所には、次のように記されています。
「この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。」
ここには「この話をしてから」とありますが、ここで言われている「この話」とは、ルカ9:21-27の記述のことです。ここで、イエス様は弟子たちに御自身の死と復活について予告されました。しかし、この時はまだ、弟子たちはイエス様が言われたことを理解できず、信じることもできないでいました。そんな中、イエス様は少しでも、彼らがこのことを理解できるようにと、彼らを連れて山に登られたのです。そこで弟子たちはイエス様がモーセやエリヤと語らう様子を目の当たりにしました。しかし、それでも、彼らはそのことを受け止めることができずにいました。この記述を読む時、改めて、弟子たちがイエス様の十字架と復活の出来事を受け止めるためには時間がかかり、紆余曲折を通らされていったのだなと思います。私たちもそうかも知れません。イエス様の十字架と復活を受け止めるために、時間がかかったり、紆余曲折を通らされることがあるかも知れないと思います。しかし、それでもイエス様の十字架と復活に出会うことができる時、その出来事は私たちを決定的に変えるのです。弟子たちがそうであったように、イエス・キリストに道と真理、命を見出し、その復活の出来事に喜びや希望を見出し、歩むことができるのです。イエス様は私たちをその歩みに招くため、今も「おはよう」と呼びかけてくださっているのです。
鈴木牧人