本日のローズンゲンの御言葉です。
「主は契約を告げ示し、あなたたちが行うべきことを命じられた。それが十戒である。主はそれを二枚の石の板に書き記された。」申命記4:13
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」マタイ5:17
数年前に亡くなった歌舞伎俳優の中村勘三郎さんが、テレビのインタビューでこんなことをおっしゃっていました。
「以前、ラジオの子ども電話相談室を聞いていると、その中で無着成恭(むちゃくせいきょう)さんがこんなことを話していた。「若い人は、すぐ型破りをやりたがるけれど、型を会得した人間がそれを破ることを『型破り』というのであって、型のない人間がそれをやろうとするのは、ただの『かたなし』です」。自分はこの言葉に痛く感銘し、それ以降、自分にとっての座右の銘にしている」。
中村勘三郎さんは、それまでの歌舞伎界の常識を覆すことを様々に成していかれました。歌舞伎を現代風にアレンジして行なったり、ニューヨークで講演を行なったりしました。まさに歌舞伎の世界にあって、型破りなことをし続けてこられたのですたが、その根底には「型があって、初めて型破りになる」という思いがあったのだなと思います。型というものが、まずあって、それを乗り越えていく時、『型破り』と言われるような新しい歩みが起こされる…。型もないまま、勝手なことをするのは、ただの『かたなし』だ…。その言葉は、本日の御言葉にも重なってくるのではないでしょうか。本日の御言葉には次のように記されています。
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」。
ここでイエス様は「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない」とおっしゃいました。当時、イエス様からメッセージを聞いていた人たちの中には、そのように考えた人たちがいたのだと思います。私たちも時々にこんなことを言ったりします。「(旧約聖書に書かれている色々な記述に対し)これは旧約の時代のメッセージであって、今は新約の時代で、これらの言葉からは解放されている。縛られることもない」。それは間違いではありませんが、あまりに簡単に口にしながら、旧約聖書のメッセージを軽んじてしまっていることがあったりするのではないでしょうか。改めて、旧約聖書の御言葉やその戒めに目を留めていく時、私たちは大切なことに気づかされていきます。旧約聖書の戒めの中心は、「正義」「公平」「慈しみ」です。その戒めは常に、私たちを社会的弱者の方に目を向けさせ、隣人を愛するように促しているのです。その言葉が今の時代こそ、大切なのだと思います。ただ一方で私たちが忘れてはならないことは、そのようなことを自分たちの頑張りや力でなそうとしても限界があるということです。イエス様の助け、赦し、支えが必要なのです。そのように旧約、新約を含めた御言葉を規範とする生き方を大切にしようとしつつ、だからこそ、「イエス様が必要だ」「イエス様なしには生きられない」とするのが、私たちの信仰の歩みなのです。
鈴木牧人