「You’ve Got a Friend」
ヨハネによる福音書15章13-17節
イエス様は、本日の箇所で、弟子たちに対して、もはやあなたがたのことを僕とは呼ばず、友と呼ぶんだと語られ、そのような友とは、どのような存在であるかを語られました。まずおっしゃったのが「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(15:13)ということでした。相手に対して、見返りを求めたり、駆け引きをしたり、損得勘定で繋がるような関係でなく、何より相手を愛し、その相手のために自分のもてるものを喜んで差しだす、そのような関係だと言われたのです。次に言われたのが「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」(15:14)ということでした。イエス様は、ここでイエス様から言われたこと、命じられたことを行なうなら、友なんだと言われました。相手から言われたことだったり、相手が願っていること、求めていることに対して、いい加減に考えたり、軽んじたりせず、自分の精一杯で応えていこうとするのが、友としての関係だと言われたのです。15:15では「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」(15:15)とも言われました。僕と主人の間柄というのは、お互いに相手が本当のところ、何を考えているのか、何を思っているのか、分からない関係です。僕にしても主人のことは全部分かりません。主人も僕が本当のところ、何を考えているのか、その本音は分からないのだと思います。けれども、友の関係はそうではありません。もっと近い関係で、相手が本当のところ、何を考え、何を願い、何に悩んでいるのか、他の人には打ち明けられないようなことでも、ちゃんと共有できるのが友なんだと言われているのです。イエス様は、私たちにとって、このような方です。何より、私たちの本当の思いを分かってくれる方であり、私たちの思いをいい加減に考えたり、軽んじたりなされない方です。そして、私たちを損得関係で関わろうとしたり、見返りを求めようとするのではなく、何より愛してくださり、私たちのため、持てるものを喜んで差しだしてくださる方なのです。その最たる出来事が十字架の出来事でした。イエス様は「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と言われているように、私たちのために御自身の命を差し出し、十字架へと向かわれたのです。その十字架の死により、救いの道が拓かれたのでした。
このイエス・キリストこそが、私たちにとっての「本当の友」です。そして、さらに覚えていたいことがあります。私たちにとって、イエス様が「本当の友」となっていく時、私たちもイエス様に対して、友としてできることをしていこうとしていくのです。イエス様に対して損得勘定で見上げるのではなく、心からの思いでイエス様を求め、イエス様がお話になられた御言葉の一つひとつを、いい加減に考えたり、軽んじたりせず、私たちのできる精一杯でその御言葉に応えていこうとするのです。そして、日々の歩みの中で、「イエス様だったらどうする?」ということに思いをはせながら、イエス様が喜ばれる歩みに歩もうとしていくのです。
