「変えられた人」
ヨハネによる福音書9章8-17節
ヨハネによる福音書9:1-7には、イエス様が生まれつき目の見えない人を見えるようにしてくださったという記述が記されています。その後、近所の人々を始め、以前から、この人を知っていた人たちは、目が見えるようになったこの人を見て、「この人が座って物乞いをしていた人だ」「いやいやそうじゃない」と話し合っていました。それほどにこの人は以前と比べて、変わっていったのです。そして、それとはそうだったと思います。考えてみたいと思います。この人はそれまで、目が見えないというハンディキャップに苦しんでいました。ですが、それ以上に苦しんでいたことがありました。それは、周りの人たちの偏見でした。「目が見えない」ということで、この人はこれまで「罪人」というレッテルを貼られていました。この人はこれまでずっとその偏見に苦しみ、自分自身のその思いに縛られてきたのです。そんな中、この人はイエス様に出会いました。イエス様は、この人に「それは違う」と言われたのです。「(あなたが生まれつき目が見えないのは)、本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」(ヨハネ9:3)と言われたのでした。このイエス様のメッセージは、これまでの考え方、物事の捕らえ方がひっくり返されるものでした。これまでずっと「自分は罪人で、神様は自分のことなんか見ていない。自分は神様に見捨てられてしまっている」と思い込んでいたのに「そうじゃないんだ」と知らされたのです。「神様は自分のことを見ていてくださっている。自分が他の人とは違う思いを通らされてきたのは、神様が自分を見捨てたのではなく、他の人とは違う特別な御計画をお持ちだったからなんだ。神様は自分を通して、特別な御業をなさろうとしているんだ。」実際に目が見えるようになるという出来事を経験し、「それが本当だ」ということを身をもって知らされました。この人は見えるようになりました。それは身体的な視力が回復したということだけではなかったのだと思います。もっと大切なものが見えるようになったのです。そのことを通して変えられたのです。
イエス様はヨハネ8:12で次のように言われました。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ8:12)。まさに、目が見えなかった人が経験したことは、このことだったのだと思います。これまで、自分の人生は他の人からも、神様から見離され、見捨てられていると感じていました。まさに希望の光など見えない歩みだったのだと思います。そんなこの人が、イエス様との出会いを通して、取り扱いを通して、見えるようになりました。光が与えられたのです。イエス・キリストという光が与えられ、その光を見る者とされました。この人は身をもってそのことを経験したのです。
改めて、私たちは心に刻んでいきたいと思います。この時代にあって、イエス・キリストこそが世の光です。私たちに命の光を与えてくれる方なのです。そんな中、私たち自身がこのイエス・キリストと豊かな形で出会っていくことができたらと思います。同時にこのイエス・キリストをこの時代にあって丁寧に証しし、宣べ伝えていきたいと思うのです。
