本日のローズンゲンの御言葉です。

「わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。」エレミヤ29:13-14 a

「すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。『この方の服に触れさえすれば治してもらえる』と思ったからである。イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。『娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。』そのとき、彼女は治った」マタイ9:20-22

 昨日の礼拝の中で、「リクリエーション」についてお話しをしました。「リクリエーション」ということについて、日本バプテスト連盟が発行している『教会生活入門』という本の中に、こんなことが書かれています。

「神は人生に多くの楽しみを備えて下さいました。その中でも、結局、主日礼拝こそが人生の最も大きな真の楽しみです。クリスチャンにとって、主の日こそが、まことのよろこびの日、ひかりの日、なぐさめの日、いこいの日になっていくはずです。仕事や勉学、日常生活での精神的・肉体的疲れを癒すために、レクリエーションが必要ですが、主日礼拝こそ、re-creation(再-創造)の根本があるのです。主日礼拝への継続的な参加によって、わたしたちは繰り返し、新しく創造されるのです。」(『教会生活入門』P.98)

私の中で「礼拝とはこういうところなんだな」と教えられた言葉です。礼拝とは、私たちにとって、再創造、新しく創り変えられていく時なのです。実際、私自身、そういう経験を度々してきました。日々の歩みの中には色々なことがあったりします。一つ一つのことを考えたりしていると、悶々とする思いにさせられたり、心騒いだり、心塞ぎそうになってしまいそうになることがあります。考えれば考えるほど、どうしたらいいのか分からなくなってしまったりします。そんな時に色々な思いを通らされながら、結局、立ち戻らされるのは、「なんだかんだ言っても、自分が今、地に足をつけた歩みを取り戻すためには、御言葉に聞かなければいけない」ということです。そんな思いの中、神様の前に心静まり、御言葉に聞こうとしていく…。その時に、御言葉から大切なことに気づかされ、心正されたり、立ち帰らされたり、心確かにさせられたり、励まされたり、新たな力を与えられていくのです。そんなふうにさせられていく中で、自分自身を取り戻すのです。私にとって、礼拝は再創造させられる場所、新しく創り変えられていく場所です。

本日の箇所には、次のように記されています

「わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。」

この箇所を読みながら、改めて、re-creation(再-創造)について考えさせられました。

鈴木牧人

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