「あなたは、もうその人を見ている」

ヨハネによる福音書9:35-41

ヨハネ9:1-7には、イエス様が生まれつき目の見えない人を見えるようにしてくださった出来事が記されています。しかし、このことが後に騒動の種となってしまいます。人々は、目が見えなかったはずの人が見えるようになったこと、そして、この人がそれまでと余りに変わっている様子を見て、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」(9:8)と言ったり、「いや違う。似ているだけだ」(9:9)と言ったりしました。すると、このことを聞きつけたユダヤ人たちの指導者たちが聞き取り調査を始めるのです。目が見えるようになった人は、自分がイエス様によって目が見えるようになったことを話しました。ですが、ユダヤ人指導者たちは、そのことを信じません。この人に対して、「神の前で正直に答えなさい」(9:24)というのでした。ですが、それでも、この人は自分が経験したことを曲げずに証言し続けました。結果、ユダヤ人指導者たちからの反発を買い、追い出されてしまったのでした。
この人は、何一つ悪いことをしていないのに関わらず、思いもよらぬ騒動に巻き込まれ、散々、酷い目に遭わされ、追い出されてしまいました。しかも、両親さえ、この人を見捨ててしまうような態度を取っていました。この人の気持ちを考える時、本当に辛かったろうなと思います。そんな中、9:35には「イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと」(9:35)と書かれています。目が見えるようになった人の思いについて考える時、この御言葉が深く心に迫ってきます。そして、「イエス様って、こういう方なんだな」と思うのです。目が見えるようになった人がしんどくて、やりきれなくて、孤独な思いにさせられていた時、イエス様はこの人のところに来てくださいました。イエス様というお方は、このようなお方です。私たちにもそのように来てくださる方なのです。
ただ、覚えていたいことがあります。イエス様がそんなふうに私たちのところに来て、私たちに出会ってくださっても、私たちはそのことに気づかないでいるということがあるということです。9:35-36には、せっかくイエス様がこの人の前に来てくださっても、この人はそれが分からなかった様子が記されています。それは仕方ありませんでした。以前、イエス様に出会った時には、この人はまだ目が見えていなかったからです。この人はイエス様のことを周りから聞き、名前は知っていましたし、実際に色々な経験をしながら、イエス様に出会いたい、イエス様のことを信じたいという思いをもっていました。ですが、まだ、分からないことばかり…。実際にはイエス様が誰なのかも分かっていなかったのです。私たちの歩みにも、こういうことってあるんじゃないかと思います。イエス様のことを信じたいのですが、けれど、分からないという思いを抱えていることがあるのではないでしょうか。そんな私たちに本日の箇所で語りかけられているようにイエス様は「あなたは、もうその人を見ている」(9:37)と呼びかけておられます。私たちには分かっていなかったり、気づいていなかったりするのですが、実は、イエス様の側は、すでに私たちのそばにいてくださっていて、私たちに関わってくださっているのです。

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