本日のローズンゲンの御言葉です。

「主のほかに神はない。神のほかに我らの岩はない。」詩編18:32

「わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。」Ⅱコリント1:9-10

「感謝は、恵みを心の中に蓄える皮袋だ」と思います。私たちはせっかく恵みを経験しても、すぐにその恵みをなかったかのように忘れてしまうことがあります。その恵みを味わったり、その恵みが私たちの生きる糧、成長に繋がっていないのです。しかしながら、私たちが恵みの一つ一つを噛みしめ、その恵みを感謝していく時、その恵みは私たちの心の内に蓄えられていきます。そして、その感謝の思いが私たちの生きる糧となっていくことがありますし、その感謝の思いを通して、私たちは成長していくことができるのです。そのような意味で「感謝」は、私たちにとって「恵みを心の中に蓄える皮袋」なのだと思います。

本日の箇所には、次のように記されています。

「わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。」

これはパウロの言葉ですが、ここでパウロはかつて自分が経験した苦難について語っています。その苦難を前に、パウロとしては、死の宣告を受けたかのように考えていました。しかし、そのような状況の中で、パウロはもはや自分を頼りとすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。その結果として、パウロは救われるという経験をしたのです。パウロは、ここでその時のことを振り返りながら、「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています」と語りました。

この箇所を読みながら、パウロは心に神様から与えられた恵みを蓄えていたんだなと思いました。そして、その思いがパウロにとっては、神様へのさらなる信頼の思いと希望に繋がっていたのだなと思います。私たちも同様に神様との出会い一つ一つを心に刻み、感謝をもって、その恵みを蓄えていく時、そのことがいざという時の励ましとなり、支えとなり、希望となっていくことがあるのだと思います。感謝をもって、心に神様の恵みを蓄える者とされていきたいと思います。

鈴木牧人

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