本日のローズンゲンの御言葉です。
「あなたたちは、あなたたちの神、主に従い、これを畏れ、その戒めを守り、御声を聞き、これに仕え、これにつき従わねばならない。」申命記13:5
「そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。」フィリピ2:15-16
本日の箇所には、次のように記されています。
「そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。」
本日の御言葉を読みながら、「そうなれたらいい」と思いつつ、「とてもできない」と思ってしまうことはないでしょうか。ある本にこんなことが書かれていました。
「主を畏れる信仰者は、その人自身のうちに何かがあるわけではありませんが、神の光をいただくことによって、光を放つようになります。」
私たちは自分たちの中に何かあるわけではありません。そんな私たちはひたすら、主を見上げ、主を畏れ、主に聞くことによって、光をいただくことができるのです。本日の御言葉を読みながら、改めて、そのことを思いました。ですから、私たちはまずイエス様に繋がっていくのです。イエス様と対話をし続けていくのです。その中で、私たちの色々な思いを吐き出し、その中でイエス様に出会っていくのです。その時、「イエス様は私の思いをちゃんと知っていてくれる。分かってくれている。ちゃんと受け止めてくださっている」という思いの中、「イエス様がいてくださるから大丈夫」という信仰に生かされていく中で、この時代の中にあって、命の光をしっかりともって歩むことができるのです。本日の箇所と同じくフィリピの信徒への手紙には次のような言葉があります。
「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピ4:4-7)
ここには、どんな時であっても、そのありのままの自分を神様に差し出して、きちんと神様と対話をしていきなさいということが書かれています。この御言葉にあるように、私たちは神様と対話しながら、この神様がおられるから大丈夫という信仰に生かされていく時、私たちの思いは取り扱われ、あらゆる人知を超える神の平和が、私たちの心と考えとをキリスト・イエスによって守られ、私たちは自分自身を取り戻すことができるのです。今日一日もそのような信仰に生かされていきたいと思います。
鈴木牧人
