本日のローズンゲンの御言葉です。

「神よ、我らはこの耳で聞いています/先祖が我らに語り伝えたことを/先祖の時代、いにしえの日に/あなたが成し遂げられた御業を。詩編44:2

だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、」Ⅱテモテ4:3

先日行われた参議院選挙のことなどを話し合う中で、こんなことを話しました。

「現在、世界では色々なところで過激な発言や、分断や争いを煽るような言葉が飛び交ったりしている。そういう風潮に煽られ、流されそうになってしまう。何でこんなふうになってしまうのだろう。」

そんな話をしながら思い出したのが、10数年前、私が日独協会協議会というものに参加した時にドイツの教会の牧師から聞いた言葉でした。

「世の中が複雑になればなるほど、人々は単純な答えを求めだす。けれど、単純な答えはないということを教会はきちんと語らなければならない。」

その牧師は、おそらく、ドイツがかつてナチスドイツに迎合し、ユダヤ人虐殺など、愚かな歩みに向かっていってしまった歴史を踏まえて、「その時、教会は何を語り得たのだろうか」という思いから、そのようにおっしゃったのだと思います。今の時代、問われている言葉なのではないでしょうか。複雑で先の見えない世界の中、つい単純な答えを求めてしまおうとしている私たちがいるんじゃないかと思います。そんな中、ものすごく乱暴な考え方、物言いのほうが分かりやすいのだと思います。加えて、その言葉が怒りの感情から来ていたり、危機感を煽るような言葉だったりする場合、私たちはあれこれと丁寧に物事を考えることなく、その言葉に流されてしまうことがあるのです。よくよく冷静になって考えれば、明らかに「おかしい」と分かる言葉で、偏った視点からの一方的な言葉だったり、事柄を様々な形で歪めている言葉だったりするのですが、そのような言葉に流されてしまうのです。本日の箇所には、次のように記されています。

「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め」

本日の御言葉を読みながら、改めて、先日のやり取りを思い出しました。このⅡテモテの御言葉は、さらに次のように続きます。

「(人々は)真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。」(Ⅱテモテ4:4-5)

複雑な時代の中で、多く人々が単純な答えを求め、自分に都合の良いことを聞こうとしたり、作り話の方にそれて行くようになるかも知れません。ですが、たとえそうなったとしても、あなたたちは、きちんと身を慎んで、真理を追い求めなさいと、この御言葉は励ましてくれています。とても大切な言葉です。現在、私たちの教会では、教会の信仰告白の話し合いをしていますが、この話し合いも私たちにとって、そのような分かち合いの時となればと願います。この時代にあって、私たちが大切にしたいものは何か、真実なことは何かを話し合い、確認していきたいと思います。  

鈴木牧人

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