本日のローズンゲンの御言葉です。

「お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」創世記3:19

「自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。」ガラテヤ6:8

本日の箇所には、次のように記されています。

「お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」

本日の御言葉を読みながら、「塵にすぎないお前」という言葉が心に留まりました。私たちは「塵にすぎない」存在です。それはどこまでいって、そうです。私たちはそのことをよくよく自覚する必要があるのだと思うのです。しかしながら、そのように「塵にすぎない」からと言って、どうでもいい存在なのではありません。創世記には、次のような記述があります。

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2:7)

人はそもそも「塵にすぎない」存在でした。しかし、そのような人に対して、主なる神は「命の息」を吹き入れてくださいました。人はこうして「生きる者」となったのです。

人はかけがえのない存在です。それは、神様が私たちに「命の息」を吹き入れ、「生きる者」としてくださったからです。このことを忘れてはいけません。私たち自身は「塵にすぎない」存在ですし、それは未だにそういう私たちがいるのですが、そういう私たちに自ら関わり続けてくださっている神様がおられる…。そのことにおいて、私たちは「生きる者」とされていくのですし、かけがえのない存在なのです。私たちがこのことを忘れ、主なる神様から離れてしまうなら、私たちはこの根拠を見失ってしまいます。自分だけで必死になって何者かであろうと踏ん張ることもできるかも知れませんが、やはり、その先には「塵にすぎない」私たちの現実を突きつけられてしまうということがあるのだと思うのです。私たちは「塵にすぎない」のかも知れません。しかし、そのような私たちを、それでも心に留めて、かけがえのない存在として受け止め、愛し、生かし、将来と希望と命の道へ導こうとしてくださっている主なる神様がおられるのです。この主なる神様にしっかりと繋がっていくことが、私たちが希望を見失わずに歩むことができる歩みなのです。

鈴木牧人

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